(43) My Fair Lady (1956) / Shelly Manne

マイ・フェア・レディ

マイ・フェア・レディ

Shelly Manne & his Friends となっているが、もちろんこのアルバムはアンドレ・プレヴィンのピアノ・トリオ・アルバムである。


ユダヤ系ドイツ人のプレヴィンがアメリカに渡ったのは1938年、(たぶん)9歳の時だったが、ロー・ティーンの頃からジャズ・ピアノを弾きはじめ、同時にハリウッドに出入してアレンジのバイトをしていたようだ。プレヴィンが映画のクレジットに正式に顔を出すのは、1947年の「It Happened in Brooklyn」あたりが最初と思うが、それでもまだ10代だから、いかに早熟の天才だったかわかる。
ダイナ・ショアやドリス・デイとの共演で歌伴をやったアルバムなどを聴けば、初期のキャリアに於いて彼の才能がハリウッドで開花したのは決して偶然ではないとわかる。ポップ・チューンやショー・チューンの絶妙な料理の仕方が圧巻だし、一聴、地味でオーソドックスな伴奏だが、ピアノという楽器の技巧をフルに使った、チャーミングでビューティフルでかつゴージャスな演奏である。が、なんといっても、彼のハリウッド的な才能とジャズの才能が端的に融合したアルバムといえば、この『My Fair Lady』である。


オードリー・ヘップバーン主演による64年の映画版しか知らない僕らにとっては、ジュリー・アンドリュースの主演で記録的なヒットとなったブロードウェイ・ミュージカルのほうは想像するしかないが、このミュージカルの初演は1956/3/15だから、このアルバムはそのわずか8ヵ月後に録音されたことになる。かなり短期間にこのミュージカルの名曲の数々が人口に膾炙していたことがわかるが、逆に、このアルバムの大ヒットによってこのミュージカル自体のロングランが決定付けられた、と言っても過言ではない。それほどこのアルバムは(ジャズとしては異例なほど)よく売れた。USAのAmazonでCustomer Reviewを見ると、「若い頃、このアルバムでモダン・ジャズに出会った」といったレヴューが非常に多いが、当時、ジャズを聴かない者さえもこのアルバムを買った証拠である。
これが遠因になったのかは知らないが、64年の映画化に際しては当然のごとくプレヴィンが編曲と音楽監督をやり、アカデミー賞の編曲賞を獲得している。


プレヴィンの(ジャズ)ピアノはもちろんビ・バップの影響を受けているが、パウエル的な右手の駆使にこだわらず、中低音をふんだんに使うし、音の回し方はかなり独特である。②「On The Street Where You Live」などを聴くと、美しいイントロから2ビートで快適にスウィングするテーマ演奏、ややブルージーなコードを差し挟んで4ビートからダブル・テンポへと変転する展開はごく自然だが、実は綿密に計算されアレンジされているのがわかる。
④「Wouldn't It Be Loverly」では、ゴスペル調のイントロやルロイ・ヴィネガーのベースソロもかっこいいが、ここでのブルース・フィーリングに満ちたプレヴィンのアドリブがこのアルバム中の白眉だと思う。が、ラテン・ビートに乗った⑧「I Could Have Danced All Night」もいいなぁ・・・というわけで、退屈な演奏は1曲もない、と言っていいほどvariousなアレンジが魅力のアルバムである。


60年代後半からクラシックにのめり込み、そっちの畑でも巨匠の名を欲しいままにしたプレヴィンだが、ピアノに関するかぎり彼の源泉がジャズにあったことは歴然としていて、そのへんが、クラシック畑の人が余興?でジャズをやった演奏とはまったくレヴェルが違うわけである。


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(42) Blue Serge (1956) / Serge Chaloff

ブルー・サージ+1

ブルー・サージ+1

古くはジョージ・ウェインやリチャード・ツワージク、スティーブ・キューン等が子供の頃ピアノを習ったのがマーガレット・チャロフ女史、すなわちサージ・チャロフの母親だった。この方は、ボストンでは有名なピアノ教師だったらしいし、父親もコンサート・ピアニストだったようで、サージの血統はクラシック畑のサラブレッドである。そんなサージ・チャロフが何故バリトン・サックスなどという無骨な楽器を選んだのかは不明だが、もちろん音楽的才能は親譲りだった。
16歳でプロ・デビューしたチャロフは、47年から49年、ウディ・ハーマンのセカンド・ハードに参加し、例の「フォー・ブラザーズ」サウンドの低音部を担当した。いち早くバップ・イディオムを消化して、このbsという鈍重な楽器で、パーカー流のバップ・フレイズを流暢に吹き鳴らして人気を博したが、病気のため退団。50年代前半のほとんどは療養でつぶしたし、結局、57年に33歳の若さで夭折する。晩年の数年間、療養の合間に残した幾つかのアルバムの中で最も有名なワンホーン・アルバムがこの『Blue Serge』である。


ブルーノートからリーダー作を出す前のソニー・クラーク・トリオ---ソニー・クラーク(p)、ルロイ・ヴィネガー(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)---をバックに演っていて、ブルージーで黒っぽい雰囲気が横溢するが、かといって、クラーク色に埋没してしまうことは全然ない。
このチャロフという男、聴いていてそう一筋縄ではいかないことがわかる。高音のハーフトーンで囁くように歌ったと思えば、急転直下バリトン最低音のブーという音で驚かしたり、突然中音域の大音量でブロウしたりと、巷で批評されているような流暢でオシャレな演奏というイメージからはほど遠いところがある。
特に、③「Thanks For The Memory」⑦「Stairway To The Stars」のバラッド演奏では、モダン期では稀有なほどヴィブラートを効かした吹奏で、スウィング期のベテラン奏者みたいな貫禄を示す。


この時期のバリトン・サックスは、西海岸の奇才ボブ・ゴードンが55年(28歳)、このサージ・チャロフが57年(33歳)、ファンキー・スタイルをバリトンに導入したレオ・パーカーが62年(35歳)にそれぞれ夭折し、ジェリー・マリガンやペッパー・アダムスの独走状態になってしまった感がある。そういう意味でも、チャロフがキャピトルに吹き込んだこの『Blue Serge』と『ボストン・ブロウ・アップ』の2枚は必聴である。


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(41) Tal (1956) / Tal Farlow

タル

タル

初っ端の①「Isn't It Romantic」で、ギタリスト垂涎の”人工ハーモニクス”の超絶技巧のソロから一転して低音を多用するシングル・トーンのダイナミックなソロへと、タル・ファーロウのテクニック満開である。
タル・ファーロウの愛用したギブソンのギターは、普通よりチョット短いショート・スケールの楽器で、かなり太い弦を半音分くらい緩く張るから独特の野太いトーンになっているらしい。特に低音弦のどこか津軽三味線を思わせるような粗野でアーシーな響きは、嫌いな人は嫌いだろうが、好きな人は病みつきになる。僕も病みつきの一人である。
この低音から中高音まで粒の揃った速弾き技は、後のパット・マルチーノを彷彿とさせ、大のマルチーノ贔屓の僕としては、これまた病みつきである。


が、タルの怒涛のギター・パフォーマンスもさることながら、このアルバムの魅力の半分は、不世出の奇才ピアニスト、エディ・コスタの参加にある。コスタのプレイもまた、極端に低音を多用するものだが、低音弾きそのものよりも、すこぶるパーカッシヴな演奏スタイルが唯一無比、ワン・アンド・オンリーというしかない。
③「How About You」での蒸気機関車のようなゆるぎないドライヴ感もすごいが、なんといっても超高速で演った⑤「Yesterdays」の斬新で個性的なプレイは、ジャズ・ピアノの歴史に残る快演(あるいは怪演?)というべきものだ。コスタはヴィブラフォン奏者でもあったが、まるで指をマレットにして鍵盤に叩きつけるようにして繰りだされる一音一音が、くっきりした輪郭の強烈なスウィング感を生み出す。


タル・ファーロウエディ・コスタが繰り出す強烈なビートとドライヴ感は、ドラムスの参加を不要なものとした。というよりも、ここに下手なドラムなど加えたら、リズムがぶつかり合ってかえってギクシャクしたものになってしまったかもしれない。そのかわり、といってはなんだが、ヴィニー・バークのベースが二人の奔放なプレイを包み込むように、オーソドックスだが実に伸びやかなトーンで支えている。このバークの堅実で音程の良いベースも特筆するに値する。


この稀有なギター・トリオが根城にしていたN.Y.の「コンポーザー」というクラブが1958年に閉店すると、タルはジャズ・シーンから姿を消して田舎に隠遁してしまう。どうやら本業?のペンキ屋にもどったようなのだ。
そんなダンディズムを感じさせるような引退劇もあって、60年代あたりはまさしく”伝説”のギタリストだったタル・ファーロウだが、1968年のニューポート・ジャズ・フェスティバルでジャズ・シーンに復帰する。復帰後のアルバムもあるが、僕にとってタル・ファーロウはやはり50年代後半に残した数枚のアルバムに尽きる。タルには最後まで伝説のギタリストであってほしかった、という気がしないでもない・・・。


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(40) Relaxin' (1956) / Miles Davis

②「You Are My Everything」の冒頭、チャーミングなシングルトーンでイントロを弾きはじめたガーランドをヒュ〜っと口笛で遮り、例のダミ声で「ブロックコード・・・」と指示するマイルス。一転、指示どおりにブロックコードでゴージャスなイントロを披露するガーランド・・・このシーンに代表されるような、演奏の前後のやり取りをドキュメントとしてあえて収録したところがこのアルバムの稀有な魅力のひとつになった。
マイルスは55年の10月ごろ喉のポリープの切除手術をしたが、術後の安静期間にリハーサル等でしゃべってしまったため、あのかすれたダミ声になってしまったらしい。そのマイルスのドスの利いた声が、この男のなんとも言えないカリスマ性を感じさせて、”リラックス”した中にも微妙な緊張感が伝わってくる。


もう一つ、よく挙げられるのが⑥「Woody'n You」の終わったところでかすかに聞こえるコルトレーンの言葉。「ビールの栓抜きはどこだぁ?」と言っているらしい。後のシリアスを絵に書いたようなコルトレーンからは想像もできないようなすっ呆けた言葉だが、実はこの時期のコルトレーンは麻薬禍のピークで、禁断症状をごまかすためアルコールに浸っていたようで、演奏などよりも一杯のビールの方が死活問題だったのかもしれない。①「If I Were A Bell」のソロの出だしで、「あっ、俺の番か・・・」っていう感じで乗り遅れぎみに入るところなど、この時期のどこかぼんやりして集中力に欠ける雰囲気は、おそらく禁断症状とアルコールの影響だろう。


6曲中4曲がスタンダード・チューン(いわゆる歌モノ)で占められているのもこのアルバムの特徴で、その内3曲のミディアム・テンポ(またはミディアム・ファスト)でのマイルスのミュート・プレイが秀逸。原曲のメロディを微妙にフェイクしたクールでメリハリの効いたテーマ吹奏が絶妙にかっこいい。僕などは、③「I Could Write A Book」や⑤「It Could Happen To You」のメロディをこのアルバムで覚えたので、後にヴォーカル等で原メロディを効いたときはかえって違和感があったくらいだ。それほどマイルスのテーマ吹奏は印象的だ。


「It Could Happen To You」でのマイルスのソロは、原メロディの一部をモチーフにしてそれを変奏していくパターンで、5・11のセッションのなかでも白眉のアドリブだと思う。このマイルスのフレージングに合わせるように、ツービートぎみにビートを刻むチェンバースのベースもみごとにはまっている。
「If I Were A Bell」とややハイテンポの「I Could Write A Book」では、マイルスのソロに加え、ガーランドのスウィンギーでメロディアスなポロンポロン・ピアノがなんともいえない雰囲気を醸す。この2曲では、『ラウンド・ミッドナイト』での「Bye Bye Brackbird」と同様、各人のソロのつなぎに循環コード(Ⅱ→Ⅴ→Ⅰ→Ⅵのいわゆる逆循環だと思う)とブレイクを挿入している。こんなチョットした工夫だが、マイルス・コンボが多用してからコンボ演奏の常套になったテクニックなので、聴く機会があったらチョット注意して聴いてみてほしい。


マイルスとガーランドの好調ぶりに比べ、ここでのコルトレーンは「歌モノ苦手」ぶりを遺憾なく発揮している(^o^; 。このマラソン・セッションの1回目(5/11)から2回目(10/26)にかけて、コルトレーンが明確な成長を遂げたなどという意見は、「If I Were A Bell」での怒涛のギクシャクぶりを聴けば、真に受けられないのがわかる。マイルスとガーランドのフレージングがあまりにメロディアスなので、それに対抗して自分も印象的なメロディ・ラインを構成しようとしているのだろうが、見事に失敗している。コルトレーンの進化は、逆にこうしたメロディアスなアドリブ・ラインときっぱり手を切って、「歌モノ」感覚を無視して極端にメカニカルなフレージングに集中していった時に始まったのだと思う。


なお、このマラソン・セッションを巡る周辺事情等については、以前書いたので→ここを参照してください。


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赤後家の殺人 The Red Widow Murders (1935)

赤後家の殺人 (創元推理文庫 119-1)

赤後家の殺人 (創元推理文庫 119-1)

その部屋で眠れば必ず毒死するという、血を吸う後家ギロチンの間で、またもや新しい犠牲者が出た。フランス革命当時の首斬人一家の財宝をねらうくわだてに、ヘンリ・メリヴェル卿独特の推理が縦横にはたらく。カーター・ディクスンの本領が十二分に発揮される本格編である。数あるカーの作品中でもベストテン級の名作といわれる代表作。(創元推理文庫

「赤後家(Red Widow)」とは聞き覚えのない言葉だし、「ギロチン」の俗称だと言われてもどうもピンとこないので、ちょっと大きめの英語の辞書を幾つか引いてみたが出てこない。それもそのはず、19世紀頃のフランス語のスラングでギロチンのことを"widow"と称したということらしい(仏語でなんというのか僕は知らない)。だから、ほとんどの英米人にとっても「The Red Widow Murders」なるタイトルは中身を読むまで意味不明の言葉なのであって、ゆえに『赤後家の殺人』という邦題も意味不明といって非難するには当たらない。


ルイ14世から直々に任命されて以来、歴代首切り役人を務めてきたロンギュヴァル家の娘と結婚したチャールズ・ブリクサムの悲劇が、この小説の恐怖の源泉になっているが、フランス革命の血塗られた歴史を背景に、このブリクサムの物語や赤後家の部屋の来歴を記すカーの筆致はなかなか見事だ。『プレーグ・コートの殺人』でのロンドン・ペストの描写もそうだったが、こういった歴史的な事実と怪奇趣味を交錯させた記述におけるカーの才能は特筆すべきものがある。


第一の殺人の密室トリックのポイントは、15分ごとに外からの呼びかけに答えた被害者の「声」の謎と、毒殺方法の謎である。「声」のトリックの方はあまりに不自然だが、毒殺のトリックは当時としてはかなり斬新だとは思う。が、これを可能にするある要素が最後まで隠してあるので、読者が推定するのはまず不可能である。アンフェアといえばアンフェアだ。


『プレーグ・コートの殺人』、『白い僧院の殺人』、そしてこの『赤後家の殺人』と密室トリックを中心にした作品を連続して発表したカーは、次の『三つの棺』であの「密室講義」を挿入するなど、カーの密室嗜好はまもなく第一のピークをむかえることになる。この時期のカーは、本当にマジで密室の構成法について様々な角度から検討・研究に勤しんでいたのだろう。


カーの長編リストはこちら

(39) Sonny Stitt Plays (1956) / Sonny Stitt

ソニー・スティット・プレイズ

ソニー・スティット・プレイズ

どうやら僕はこのアルバムとはすれ違いの運命にあるようだ。
学生時代、このアルバムのLPを友人から借りてカセットに録音してしょっちゅう聴いていたのだが、そのうち自分で買おうと思った時には廃盤状態だった。CD時代になってからはどうもこのアルバムはずっと国内盤がリリースされていなかったようで(僕が気づいていなかっただけかもしれない)、3〜4年前に紙ジャケ盤で出ているのを発見して嬉々として買い込んだのだった。これでやっとこのアルバムを自分の手にしたのだが、その直後(聴いたのはたぶん1回)、若いジャズ初心者の友人から「サックスの50年代のオススメを何枚か聴いてみたい」と請われ、ついこのアルバムも貸してしまった。彼女はその後まもなく沖縄に定住してしまい、このアルバムは戻って来ずじまいになっている。


この「50年代の100枚」を選定していてこのことに気づき、この際新たに手に入れようと思ってCD屋やアマゾンで捜したが上記の紙ジャケ盤はまたしても廃盤。ネットで外盤を注文したのだが、1ヵ月後に「在庫切れでした、代金はお返しします」のメール。というわけで、追いかけても追いかけても逃げていくこのアルバムなのだった。
で、数十年前の(+4年前に1回だけ聴いた)記憶だけでレヴューするのもなんだし、今回は止めておこうかと思ったのだが、先般、このアルバムの中の半分が収録されている珍しいCDを偶然手に入れた。


Sonny Stitt & Hank Jones : Sonny Stitt & Hank Jones: The Complete Original Quartet Recordings』というアルバムでEUの Lone Hill Jazz という再発レーベルから出ている。『Sonny Stitt Plays』と『Sonny Stitt with the New Yorkers』(1957)、『Stitt in Orbit』(1962)の3枚から、スティットがハンク・ジョーンズ・トリオをバックに演った音源だけを集めている。で、『Sonny Stitt Plays』のうち4曲はフレディ・グリーンのリズム・ギターが入っているからこの分をオミットして、残りのクインテットで演った4曲を収めているわけだ。
4曲だけとはいえ「If I Should Lose You」や「My Melancholy Baby」を聴けたのは幸いだったし、『With the New Yorkers』の方にも「Cherokee」、「Body And Soul」、「Bird's Eye」等の名演が入っているので、50年代のスティットのワンホーン演奏を聴くには超お得用のアルバムだ。(『Stitt in Orbit』は付録と考えてよい)
ところで、このアルバムのデータを見ていたら、『Sonny Stitt Plays』の録音は1955年の12月となっていて、今までのデータより10ヶ月も早いのだが、どっちが正しいんだろう?


スティットのアルトは、なんだかんだ言っても明らかに(ほとんど確信犯的に)チャーリー・パーカーのイミテーションであって、演奏スタイルについて似ているの似ていないの議論は愚としか言いようがない。が、彼はパーカーを模倣したが、パーカーの音楽のコアにあるアヴァンギャルドな部分や曰く言いがたいドロドロしたモノ(なんのこっちゃ?)までは模倣できなかった、あるいは模倣しなかった。おそらくパーカーのパーカーたる核の部分を捨象して、表層をすいすいと滑走することで、最後までエクセレントなミュージシャンであり続けたのがソニー・スティットだった・・・スティットの「Cherokee」を聴いていてそう思った。
ある意味パーカーの仕掛けた罠のドツボにはまってしまったエリック・ドルフィーオーネット・コールマンと比較して、スティットはあくまでエクセレントなのだ。


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(38) For Musicians Only (1956) / Dizzy Gillespie

チャーリー・パーカーが演奏する姿をとらえた数少ない映像の一つが、1952年にダウンビート誌のポール・ウィナーとしてディジー・ガレスピーと共に「Hot House」を演ったTV番組の映像だが、演奏の前に司会者にインタビューされて答えるパーカーの表情が絶妙だ。「何言ってんだ、このパープリンの白人野郎!クソして寝やがれ!!」と心の中で言ってるのがミエミエの不快感丸出しの表情を見ると、やはりパーカーは取っ付きにくい芸術家肌の偏屈野郎だったことがわかる(このスタンスはマイルスに承継される)。一方のガレスピーは、バードが何かやらかすんじゃないかとハラハラしながら、にこやかに当たり障りのない答えをする。この対照がおもしろい。


ビ・バップの(演奏上の)最大の功労者がパーカーだったことに異論を唱えるのは難しいが、ガレスピーの(道化師的な役回りも含めた)広告塔としての存在がなければ、バップが単なるエキセントリックでアヴァンギャルドな黒人の音楽としてメディアから黙殺ないしは封殺された可能性は十分あった。そういう意味では、ガレスピーこそモダンジャズ興隆の最大の功労者だったと言って過言ではないし、アメリカでは常にそういうワンランク上の巨匠として待遇されてきた。日本でガレスピーがすこぶる軽視されてきたのは、おそらく急激に演奏レヴェルの落ちた60年代以降のプレイを中心に聴かれた為だろうか?


ガレスピーが例の45度上向きのホーンを使うようになったのは50年代の中ごろと言われているから、このアルバムの頃はもう使っていたかもしれない。(ジャケットのガレスピーの写真は、53年の『Diz and Getz』にも同じ写真が使われているからもっと前に撮られたものに違いない。)このラッパを使い始めた頃から、だんだんにあの頬っぺたを膨らませる度合も増していき、ほとんど顔面風船状態で吹くようになっていくが、この風船の膨らみ具合に比例するように、ガレスピーのプレイはタンギングやアタックが甘くなり、垂れ流しぎみのメリハリのないプレイになっていった気がする。
が、このアルバムではまだまだタンギングも明瞭で、往年のプレイに劣らないエモーショナルで輝かしいトランペットを聴けるし、ディジー自身まだ「過去の人」ではないことを証明している。


ヴァーブのノーマン・グランツによるJATP等の顔見世興行や、これといったコンセプトもないままに大物を競演させたレコーディングは批判するものも多いが、そこはモノが大物であるだけに、こういった場面で突発的に快演が生まれる可能性も常に孕んでいた。
スタン・ゲッツは54年に麻薬がらみで逮捕されて以降、50年代後半は特筆するようなリーダー・アルバムも残せず、半リタイア状態だったと言ってもいいが、その中でこのアルバムやJ.J.ジョンソンとの「オペラハウス」での競演のような快演を残せたのは、どちらもノーマン・グランツのプロデューシングのおかげだった。


この時期のゲッツはすでに50年前後のクールで繊細なプレイから脱皮?して、かなりエモーショナルなスタイルに変化してきていたが、ここではガレスピーとスティットのプレイに煽られたのか、随分ハードなブローイングを前面に出したプレイになっている。ゲッツがここまで極端にブロウしたセッションは他に思い当たらない。(僕が知らないだけか?)
ただし、以前の完璧なトーン・コントロールと比べると、リード・ミスが目立ち、必ずしも本調子ではない気もする。この辺のゲッツの演奏をどう受けとめるかは、ゲッツ・ファンにとっても非常に悩ましい問題ではなかろうか?


55年にパーカーが逝って、晴れてアルトを解禁したソニー・スティットはこの時期ふっ切れたように怒涛の快演を連発するが、ここでもスティットのバッピッシュなブローイング・アルトが演奏全体の雰囲気を支配している、と言っていいかもしれない。
スティットについては次回レヴューする予定なので、ここでは多言しないことにする。


『フォー・ミュージシャンズ・オンリー』というタイトルから何か難解な仕掛けを期待して聴いたならコケること間違いないが、逆にこれは、どんなリスナーでも楽しめる単純明快なブローイング・セッションなのだ。この逆説はなんなんだろう?


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