(38) For Musicians Only (1956) / Dizzy Gillespie

チャーリー・パーカーが演奏する姿をとらえた数少ない映像の一つが、1952年にダウンビート誌のポール・ウィナーとしてディジー・ガレスピーと共に「Hot House」を演ったTV番組の映像だが、演奏の前に司会者にインタビューされて答えるパーカーの表情が絶妙だ。「何言ってんだ、このパープリンの白人野郎!クソして寝やがれ!!」と心の中で言ってるのがミエミエの不快感丸出しの表情を見ると、やはりパーカーは取っ付きにくい芸術家肌の偏屈野郎だったことがわかる(このスタンスはマイルスに承継される)。一方のガレスピーは、バードが何かやらかすんじゃないかとハラハラしながら、にこやかに当たり障りのない答えをする。この対照がおもしろい。


ビ・バップの(演奏上の)最大の功労者がパーカーだったことに異論を唱えるのは難しいが、ガレスピーの(道化師的な役回りも含めた)広告塔としての存在がなければ、バップが単なるエキセントリックでアヴァンギャルドな黒人の音楽としてメディアから黙殺ないしは封殺された可能性は十分あった。そういう意味では、ガレスピーこそモダンジャズ興隆の最大の功労者だったと言って過言ではないし、アメリカでは常にそういうワンランク上の巨匠として待遇されてきた。日本でガレスピーがすこぶる軽視されてきたのは、おそらく急激に演奏レヴェルの落ちた60年代以降のプレイを中心に聴かれた為だろうか?


ガレスピーが例の45度上向きのホーンを使うようになったのは50年代の中ごろと言われているから、このアルバムの頃はもう使っていたかもしれない。(ジャケットのガレスピーの写真は、53年の『Diz and Getz』にも同じ写真が使われているからもっと前に撮られたものに違いない。)このラッパを使い始めた頃から、だんだんにあの頬っぺたを膨らませる度合も増していき、ほとんど顔面風船状態で吹くようになっていくが、この風船の膨らみ具合に比例するように、ガレスピーのプレイはタンギングやアタックが甘くなり、垂れ流しぎみのメリハリのないプレイになっていった気がする。
が、このアルバムではまだまだタンギングも明瞭で、往年のプレイに劣らないエモーショナルで輝かしいトランペットを聴けるし、ディジー自身まだ「過去の人」ではないことを証明している。


ヴァーブのノーマン・グランツによるJATP等の顔見世興行や、これといったコンセプトもないままに大物を競演させたレコーディングは批判するものも多いが、そこはモノが大物であるだけに、こういった場面で突発的に快演が生まれる可能性も常に孕んでいた。
スタン・ゲッツは54年に麻薬がらみで逮捕されて以降、50年代後半は特筆するようなリーダー・アルバムも残せず、半リタイア状態だったと言ってもいいが、その中でこのアルバムやJ.J.ジョンソンとの「オペラハウス」での競演のような快演を残せたのは、どちらもノーマン・グランツのプロデューシングのおかげだった。


この時期のゲッツはすでに50年前後のクールで繊細なプレイから脱皮?して、かなりエモーショナルなスタイルに変化してきていたが、ここではガレスピーとスティットのプレイに煽られたのか、随分ハードなブローイングを前面に出したプレイになっている。ゲッツがここまで極端にブロウしたセッションは他に思い当たらない。(僕が知らないだけか?)
ただし、以前の完璧なトーン・コントロールと比べると、リード・ミスが目立ち、必ずしも本調子ではない気もする。この辺のゲッツの演奏をどう受けとめるかは、ゲッツ・ファンにとっても非常に悩ましい問題ではなかろうか?


55年にパーカーが逝って、晴れてアルトを解禁したソニー・スティットはこの時期ふっ切れたように怒涛の快演を連発するが、ここでもスティットのバッピッシュなブローイング・アルトが演奏全体の雰囲気を支配している、と言っていいかもしれない。
スティットについては次回レヴューする予定なので、ここでは多言しないことにする。


『フォー・ミュージシャンズ・オンリー』というタイトルから何か難解な仕掛けを期待して聴いたならコケること間違いないが、逆にこれは、どんなリスナーでも楽しめる単純明快なブローイング・セッションなのだ。この逆説はなんなんだろう?


50年代の100枚リスト