(37) Round about Midnight (1955-56)/ Miles Davis

これはもうモダンジャズのアルバムの中でも10指に入る名盤だが、僕にとってはかなり耳タコで、ここ数十年まともに聴いていないので、今日は久々にジックリ耳をすまして聴いてみた。で、このアルバムには、1955/10/26、1956/6/5、1956/9/10の3回のセッションが収録されているわけだが、このクインテットの成長の度合も含めて、あえてセッション順にレヴューしてみることにした。


(A)1955年10月26日のセッション
・②Ah-Leu-Cha


レッド・ガーランド(p)、ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(d)のリズム隊に、二転三転のうえジョン・コルトレーン(ts)が加わって確定したマイルスの第1次オリジナル・クインテットによる、最初のスタジオ・セッションである。この日は、「Ah-Leu-Cha」、「Two Bass Hit」、「Little Melonae」、「Budo」の4曲が録音されたが、最終的にアルバムに収録されたのは②「Ah-Leu-Cha」のみだった。
この曲は、チャーリー・パーカーが”I Got Rhythm”のコード進行を基に作った曲で、2管が対位法的にからむ珍しいバップ・チューン。マイルスのソロは、ややダークなトーン、メロディアスながらクロマティックな音使いのモダンなフレージングで、こうしたオープン・ホーンでのマイルスのプレイ・スタイルはほぼ完成されているのがわかる。
一方のコルトレーンは、テクニック的にも自信なさげで、かつマイルスとこのクインテットの意図を探りあぐねているような様子が見える。が、最初のマラソン・セッション(56年5月)あたりの「歌物」に対する怒涛のギクシャクぶりに比べれば、こうしたバップ・チューンのソロはそれなりに形になっている。意外にも、ややパーカー的あるいはデクスター的なフレージングが散見される。ガーランドのソロもややビ・バップ風で、後の独特のピアノ・スタイルはまだ完成されていない。
残りの曲はこのアルバムではカット・アウトされたが、昨今ではコンプリート的なアルバムにすべて(別テイクも含め)収録されている。中では「Little Melonae」が秀逸。中山康樹氏がこの曲を「悪趣味なテーマをもった曲」とけなしているのをどこかで読んだが、ジャッキー・マクリーンの非常にモダンなマイナー・チューンの傑作である。このテイクは何故か『1958・マイルス』という編集アルバムに入れられてヒンシュクを買った。・・・ああ、脱線、脱線。


(B)1956年6月5日のセッション
・④Bye Bye Blackbird
・⑤Tadd's Delight
・⑥Dear Old Stockholm


5月11日の第1回目のマラソン・セッションの約1ヵ月後のセッションである。
まずは、数ある歌物のイントロの中でも白眉とされるガーランドの甘美な前奏から始まる④「Bye Bye Blackbird」。テーマ吹奏と続くマイルスのミュート・ソロ・・・これはマイルスの「間」と「音の省略」というコンセプトが結実した珠玉の一品と言うべきだが、それは実のところリズム隊との圧倒的なコンビネーションの成果だったことがわかる。ツービートのチェンバースのクールなベース・トーンと、「間」につっこむガーランドのオカズのタイミングが最高。あくまでリリカルな雰囲気を維持するマイルスに対して、倍テンポを多用し、メカニカルで硬質なコルトレーンのプレイは良いコントラストになっていると思う(テクニック的にはまだまだだが・・・)。もちろん、ガーランドのソロで炸裂するブロックコードも最高。
⑤「Tadd's Delight」は、タッド・ダメロンがロイヤル・ルーストの名物MCシンフォーニー・シッドに捧げた曲で、別名「Sid's Delight」。この頃のマイルスはアップテンポでも、もう8分音符の羅列はやらず、ゆったりしたメロディアスなフレーズに時折速いフレーズを差し挟むスタイルだ。コルトレーンはやはりもたつきぎみで、やや聴き苦しい。フィリー・ジョーの快適なシンバル・レガートとスネアのバウンス感がここでの聴きものかもしれない。
⑥「Dear Old Stockholm」はスタン・ゲッツスウェーデンのトラッド・チューンをジャズに取り入れたのが最初だが、マイルスもすでに52年にブルーノートのセッションで演っている。8小節のワン・ブロックの後にその都度、ややモーダルなブレイク(ペダルポイントっていうやつだっけ?)を挿入するアレンジが特徴だ。おもしろいアレンジだが、ちょっとせわしない変化にコルトレーンがついて行けてない。リズム隊のコンビネーションも時折ギクシャクするところがあって、僕は世に言われるほどの名演とは思っていない。


(C)1956年9月10日のセッション
・①Round Midnight
・③All of You


クインテットのメンバーが固まってからほぼ1年経っていて、メンバー間のコンビネーションも佳境に入っている。
①「Round Midnight」の、ギル・エヴァンスのアレンジを基にした例のかっこいい”ダッダ〜ン”のアンサンブルも、楽譜に書き下ろしたわけではなく、その場のヘッド・アレンジのみ(楽譜なし)で、しかも一発テイクで決めている。この名演については、前にも書いたし、これ以上なんだかんだ書くのはやめておく。
コール・ポーターの③「All of You」では、マイルスのテーマ吹奏のフェイクの仕方がかっこいい。こうしたミディアム・テンポのポップ・チューンでは、メリハリのきいたフェイクでビシッと決めてしまえばもう勝ったも同然だ。「歌物」苦手のコルトレーンは相変わらずだが、ガーランドの独特のスウィング感溢れるピアノが聴きもの。各人のソロのつなぎで、循環コード+ブレイクを挿入してヴァリエーションを出すやりかたは、この時期マイルスが好んだ手法で、マラソン・セッションの幾つかの曲でもやっている。


1曲ずつ思いついたことを書いていったら長くなってしまった。
ごめんなさい m(。>(エ)<。)m


50年代の100枚リスト

死時計 Death-Watch (1935)

月光が大ロンドンの街を淡く照らしている。数百年の風雨に黒ずんだ赤煉瓦の時計師の家、その屋根の上にうごめく人影。天窓の下の部屋では、完全殺人の計画が無気味に進行している……。死体のそばに、ピストルを手にした男が立っていたが……。奇想天外の凶器! 魚のように冷血な機略縦横の真犯人と対決するのは、おなじみフェル博士。(創元推理文庫

名作『三つの棺』と同時期に書かれた本にしては、愚作の感が強い。
第一に、ほとんど耐えられない退屈さ。犯行そのものに関する描写は30ページまでで終わってしまい、その後のプロットに動きがないので、推理のプロセス自体もなんだか冗長でメリハリのないものに感じてしまう。それを防ぐためか、5つのキー・ポイントを提示したり(「盲目の理髪師」でやったような手法)、フェル博士とハドリー警視との擬似裁判(論告と弁護)みたいな場面を挿入したりしているが、この耐え難い退屈さを救う手立てにはなっていない。


おそらく、まず凶器としての「時計の針」という突飛なアイデアがあって、このアイデアを使いたいばかりにカーはこの本を書いたのだろう。「時計の針」による殺人というただ一点をドラマタイズするために、プロットや動機が後付け的に考えられたので、どうも全体の展開がギクシャクしてしまったように思う。
フェル博士を初っ端から事件に立ち会わせたのも失敗だったのではないか?


それと、冒頭でのフェル博士のある発言が犯人の正体についてのミスディレクションになって(しまって)いるが、これは看過できない反則行為というべきだろう。


一つのアイデアに頼って物を書くときの落とし穴みたいなものを感じる。


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(36) Concert by the Sea (1955) / Erroll Garner

Concert By the Sea

Concert By the Sea

エロール・ガーナーのピアノは、リズムを刻む強烈な左手と、もたれぎみの右手のフレージングを評して、「ビハインド・ザ・ビート」と呼ばれるそうだが、今回久しぶりにこのアルバムを聴いて、そんなに極端に「ビハインド」しているわけじゃないな、と思う。それよりも、ガーナーのピアノを評するなら、左手と右手が縦横に交差し、ブロック・コード、トレモロ、オクターブ奏法etc...様々なテクニックを駆使して演出する実にゴージャスなエンタテインメント・サウンドということに尽きるだろう。


バド・パウエルに始まるバップからハード・バップのピアノのスタイルは、ひたすらホーンライクな右手を追求していった感があるが、ガーナーのピアノを聴いていると、ピアノという楽器の本来の使用法というのはこういったオーケストラルな奏法にあることを今さらながら思い出すのだ。
芸能ピアノといってバカにするなかれ、だ。
現代のジャズ・ピアノ・シーンはいまだにパウエルとエヴァンスの影を引きずりながら動いているが、今の若いピアニストがこのガーナーのピアノを聴いてどう感じるか、聞いてみたい気がする。案外ユニークなピアノ・スタイルを築くヒントになるんじゃないだろうか?*1


50年代の100枚リスト

*1:と思ったら、ダン・ニマーというピアニストなんかが、かなりガーナーを意識したスタイルで弾いているようだ。僕は聴いたことないが・・・

(35) Chico Hamilton Quintet (1955) / Chico Hamilton

ブルー・サンズ (紙ジャケット仕様)

ブルー・サンズ (紙ジャケット仕様)

西海岸を本拠地とした黒人ミュージシャンとしては、前にレヴューしたデクスター・ゴードンハンプトン・ホーズがいるが、なんといってもチコ・ハミルトンのチーム・リーダーとしての才覚は西海岸でもひときわ異彩を放っていた。
彼が1955年に立ち上げたクインテットは、バディ・コレット(as,ts,cl,ft)、フレッド・カッツ(cello)、ジム・ホール(g)、カーソン・スミス(b)、チコ・ハミルトン(ds)という変則フォーマットで一世を風靡した。


以前紹介したジミー・ジュフリー(2006-05-19 - and i am dumb)も、自身のマルチ・リード・プレイと変則ユニットを配した室内楽的な演奏が特徴だったが、ハミルトンのグループでサックスやクラリネットやフルートを吹いているのがバディー・コレット。作編曲を含め、このユニットのサウンド的な支柱は多分この人だったのだろう。特に、前にも書いたが、フルートの腕前はバド・シャンク等と比べても格段とレヴェルが上である。
コレットが発掘して後釜にすえたエリック・ドルフィーは58年にこのクインテットでデビューしたが、映画『真夏の夜のジャズ』の中でドルフィーがフルートを吹くハミルトン・グループの「ブルー・サンズ」の映像と演奏が有名になったからか、同曲のオリジナル演奏を含むこのアルバムの邦題は『ブルー・サンズ』となっている。英題は「Chico Hamilton Quintet Featurinng Buddy Collette」である。同年に同じパシフィック・レーベルから出た「チコ・ハミルトン・クインテット・イン・ハイ・ファイ」というアルバムもあるので、要注意。この2枚の出来は甲乙つけがたいが、個人的には「In Hi-Fi」のよりリラックスした洒脱な雰囲気が好きだ。が、この稀有なクインテットのデビュー盤であるこのアルバムに敬意を表してこっちを選んだ次第。


コレットの変幻自在のマルチ・プレイヤーぶりも見事だが、このグループの一番の売りはやはりチェロの導入ということだろう。オスカー・ペティフォードなどがベースの持ち替え楽器として演奏するケースはあったが、ここでのフレッド・カッツのチェロはメインのアンサンブルやソロで活躍し、完全にフロントの役割を担っている。カッツは、リナ・ホーンの伴奏者等も務めたピアニストでもあって、チェロでもなかなか流暢なアドリブを繰り出す。クラシック畑から突然引き抜いてきたチェリストではこうはいかない。
リーダーのチコ・ハミルトンは、めったにスティック打ちをしない人で、ここでもほとんどがブラシとマレット、そして直接の手打ちでやっている。ピアノがなく、通常のシンバル・レガートもないリズムセクションというのは、やはり僕らが聴き知ったジャズのサウンドとはかなり異質だ。そこがこのユニットの稀有な魅力であり、すこぶる退屈な所以でもある。


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(34) Study in Brown (1955) / Clifford Brown

スタディ・イン・ブラウン

スタディ・イン・ブラウン

1956年6月26日、今からちょうど50年前の今日、クリフォード・ブラウンが自動車事故でこの世を去った。
26年に満たないこの天才トランペッターの生涯だったが、最後の数年間に残した快演の数々は僕らジャズ・ファンにとって至高の宝物だ。
この『Study in Brown』その他のアルバムについては、今まで何度も駄文を書いてきたのでそちらを参考していただきたい(2005-11-24 - and i am dumb)。
50年の時を超えて、僕らにジャズの醍醐味と楽しさを届けてくれるブラウニーに、ただただ感謝!


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(33) Daddy Plays the Horn (1955) / Dexter Gordon

ダディ・プレイズ・ザ・ホーン

ダディ・プレイズ・ザ・ホーン

6フィート5インチ(196センチ)の長身で”ロング・トール・デクスター”と呼ばれたデクスター・ゴードン、背もでかかったが音もでかく、そのフレージングは大胆で何より音楽のスケール自体がでかかった。長いストライドで闊歩するごとく、怒涛の後ノリで悠然と吹きまくる豪放なテナーは、これぞモダン・ジャズ・テナーといった風格で、僕にとっても最も好きなテナー吹きの一人だ。
1946年にバド・パウエルと競演したセッション(『Dexter Rides Again』)を聴いてみれば、この時期すでにバップ・テナーの第一人者であったことがわかる。その後ウォーデル・グレイとのテナー・バトルで一世を風靡するが、1952年のパサデナ公会堂でのライヴ・セッション(『ザ・チェイス (紙)』)を最後に、ゴードンは50年代のジャズ・シーンから姿を消す。もちろん、麻薬である。「麻薬のために50年代の大半を棒に振った」・・・嗚呼、このフレーズを僕は何回使ったことか。
で、麻薬刑務所で受刑とリハビリに勤しんだゴードンだったが、1955年に一時仮釈放を受け、その時に2枚のリーダー・アルバムを吹き込んでいる。『Blows Hot and Cool』とこの『Daddy Plays the Horn』で、52年以降の50年代ではゴードンのリーダー・アルバムはこの2枚しかない。再び入獄したゴードンが再起するのは1960年で、一般にこのあと吹き込んだ『Go』(1962)や『Our Man in Paris』(1963)あたりが名盤の誉れ高い。


久しぶりにこのアルバムを聴いてみたが、ほとんどブランクを感じさせないデックスらしい快演の連続だ。
①の表題曲はほとんどテーマのないミディアム・テンポのブルースだが、ウォーキング・ベースの鬼ルロイ・ヴィレガーの刻むズンズンと重たいベースラインの上を、乗り遅れ寸前の独特のタイミングで乗りこなすデクスターのドライブ感は、ジャズの「もたれノリ」のお手本だ。ケニー・ドリューのピアノも快調。ハイテンポの⑥「You Can Depend on Me」は、長いブランクの中でもこれほどのテクニックとフィーリングを維持していたのが奇跡と思えるほどの快演で、初期のロリンズへの影響がいかに大きかったかがわかる。
一方、③「Darn That Dream」や「Autumn in New York」のバラッド演奏では、ヴィネガーとドリューのバッキングがやや単調で、バラッドの名手デクスターのプレイを殺してしまっている気がする。バックバンドの良い所と悪い所が両方出ている。


この年はデクスターのヒーローだったチャーリー・パーカーが死に、盟友のウォーデル・グレイも急死しているが、共に遠因は麻薬によるものだったから、仮釈放で娑婆に出てきたゴードンにとってはかなりの打撃だっただろう。その意味では、デクスターも心中期すところがあったと推察するが、そんな簡単に足を洗えないところが麻薬の麻薬たる所以だ。
50年代後半のハード・バップ隆盛期に、このデクスター・ゴードンスタン・ゲッツという両巨匠がジャズ・シーンからリタイアしたことで、テナー・サックスのヴァリエーションは僕らリスナーにとってもチョット選択肢の少ないものになってしまったのが、すごく惜しい気がする。二人とも60年代にはカムバックするが、50年代にしかできない仕事というのもあったはずだからだ・・・。


50年代の100枚リスト

白い僧院の殺人 The White Priory Murders (1934)

白い僧院の殺人 (創元推理文庫 119-3)

白い僧院の殺人 (創元推理文庫 119-3)

ロンドン近郊の由緒ある建物〈白い僧院〉――その別館でハリウッドの人気女優が殺された。建物の周囲30メートルに及ぶ地面は折から降った雪で白く覆われ、足跡は死体の発見者のものだけ。犯人はいかにしてこの建物から脱け出したのか? 江戸川乱歩が激賞した、《密室の王者》の名に恥じない不可能犯罪の真髄を示す本格巨編!(創元推理文庫

H.M.卿ものの第2弾は、前作のようなゴシック風味は影をひそめ、ひたすら「足跡のない殺人」(あるいは「雪上の不可解な足跡」)というテーマを追いかけた作品である。密室殺人の変種である「足跡のない殺人」テーマに最初に着目したのが誰だったかは知らないが、日本でも江戸川乱歩の初期の作品や鮎川哲也の諸作に使われていた。が、どちらかと言えば短編が多く、このテーマ一本で長編をものにするのはいかに難しいか想像できる。長編では、法月綸太郎の『雪密室 (講談社文庫)』や有栖川有栖の『スウェーデン館の謎 (講談社文庫)』が思い浮かぶが、彼ら新本格派の作家に対するディクスン・カーの影響は絶大だったはずだ。カー・マニアたる二階堂黎人の『吸血の家 (講談社文庫)』では、カーをまねて「足跡のない殺人の講義」が挿入されているらしいが、二階堂氏を軽視している僕は残念ながら読んでいない・・・(^o^;


カー自身もこのテーマに対する執着は強かったようで、『三つの棺』の一部にも使われたし、『テニスコートの謎』や『貴婦人として死す』でもこのヴァリエーションが登場する。それらの端緒となったこの作品は、このテーマでの古典と言っていいだろう。
状況設定は非常に込み入っているようだが、トリックの根本は単純な「コロンブスの卵」的な発想の転換であり、カー得意の「**の**」(なんのこっちゃ?)によるものだ。『帽子収集狂事件』もそうだが、乱歩はこの手のトリックがすこぶる好きだったらしく、この作品も手放しで激賞している。
専売特許のゴシック・モードや幽霊譚でミス・ディレクションを引くことはできないので、ここでは、女優マーシャ・テートを巡って渦巻く男達の愛憎や嫉妬や利害から動機を浮かび上がらせる。ある意味オーソドックスな背景だが、彼らがお互いに裁断し合うために提示するもっともらしい仮説を巡って、プロットは二転三転する。


この小説、はっきり言って非常に読みにくい。
この「雪上の不可解な足跡」というトリックは、雪の降り始めと止んだ時までの特定時間内でしか成立しないという特徴があって、その時間内での人物の行動のタイム・ラグが重要になる。真夜中に本館と別館を密かに行きかう登場人物たち、ロンドンから現場に到着する車、吼える犬・・・これらの時系列上の時間差は、カーの筆致の独特の曖昧さもあって、よっぽど注意深くメモでもしないかぎり頭に入ってこない。
ピンボケ写真のように妙に焦点のずれた翻訳が混乱に輪をかける。特に、明らかに「二、三分あとでした」とすべきところが「二、三分前でした」となっていたりして、こんぐらかった頭をますますゴチャゴチャにかき回してくれる。
この本を読むのはほとんど体力勝負と言っていいだろう。


体力勝負だよ、日本サッカー!!


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