(52) Basie In London (1956) / Count Basie

ベイシー・イン・ロンドン+4

ベイシー・イン・ロンドン+4

みちのく一関には「ベイシー」という超有名なジャズ喫茶(&ライブスポット)があるが、僕が育った仙台にも「カウント」という老舗があって(今は2代目のマスターのようだ)、僕が高校生の頃よく通ったものだった。ほとんど僕のジャズ体験の原点といっていいこの店は、もちろんリアルタイムの話題作(70年代)や60年代のモード系・フリー系のジャズもよく掛けたが、それでも日に何回かは(一種の口直しか?)必ずカウント・ベイシーのフルバンドを大音響で鳴らすのだった。
僕にとってのベイシー・サウンドは、この「カウント」の馬鹿デカイ”ALTEC”のスピーカーから強烈な風圧とともに流れてくる音であって、だからLPなどを買い込んで自宅のしょぼいオーディオ装置で聴く気など微塵も起きなかった。村上春樹が言った「カウント・ベイシーの音楽は事情が許すかぎり大きな音で聴いたほうがいい」という言葉は、僕にはあまりにリアルな響きがあったりするのだ。


で、数年後、札幌で大学生をやっていた僕は偶然ベイシー楽団のライブを見た。確か厚生年金会館だったと思うが、僕の友人が地元の準主催者の知合いで、何故か僕は舞台裏でピアノ等の運搬移動に駆り出され、そのドサクサに紛れて脇の通路で立ち見(タダ見)をしたのだった。
この時の音楽の印象はもう記憶の彼方だが、たったひとつ頭に焼きついているのが、舞台中央やや左に鎮座して、ギターの表を思い切り上に向けてリズム・ギターをかき鳴らす、フレディ・グリーンの姿だった。
それ以来僕は、ベイシー・バンドの稀有さというのは、音楽の表面にはほとんど聴こえてこないこのリズム・ギターが、音楽の全体を見事に仕切ってしまっているという、ほとんど魔法のようなバンドである、という考えに取り付かれてしまい、今だもって取り付かれている。


この56年のヨーロッパでのライブ盤でも、ジョー・ニューマンやフランク・フォスターといったソリストの巧みさもさることながら、圧倒的なのはホーン・セクションのアンサンブルの何ともいえない一体感であって、それは、交響楽団の一糸乱れぬ合奏の妙技とは全く次元の違う話である。この一体感とは、音やリズムやテンポがぴったり合っているとかいうこととは全然関係なくて、プレイヤー全員が全く同じ”ノリ”で演奏しているから、多少音がずれていようが、誰かが音符を間違えようが、どうしようもなく一丸となった音の塊として聴こえてきてしまうのだ。で、オチはもちろん、この怒涛のノリと一体感を魔法のように支えているのが、フレディ・グリーンのリズム・ギターだ、ということなのだ・・・。


この「イン・ロンドン」は、実はロンドンでの録音ではなく、音源はスウェーデンのエーテボリという都市で収録されたもので、ベイシーはこのジャケット撮りのためにロンドンへの小旅行を敢行したりしているから、ほとんど確信犯的な偽表題である。が、初っ端の「ジャンピン・アット・ザ・ウッドサイド」や2曲目の「シャイニィ・ストッキングス」で早くも盛り上がりメーターのピークを示す観客が、ロンドンっ子だろうがエーテボリっ子だろうが、このライブの楽しさには変わりがなくって、CDを聴く僕たちはこの興奮と幸福を少しでも分けてもらえばそれでいい。
おそらくこのライブ会場にいた聴衆の大部分は、帰宅時にもう何とも言えない幸福を噛みしめながら帰っただろうし、その幸福は3日は続いただろうと、確信する。


50年代の100枚リスト