(42) Blue Serge (1956) / Serge Chaloff

ブルー・サージ+1

ブルー・サージ+1

古くはジョージ・ウェインやリチャード・ツワージク、スティーブ・キューン等が子供の頃ピアノを習ったのがマーガレット・チャロフ女史、すなわちサージ・チャロフの母親だった。この方は、ボストンでは有名なピアノ教師だったらしいし、父親もコンサート・ピアニストだったようで、サージの血統はクラシック畑のサラブレッドである。そんなサージ・チャロフが何故バリトン・サックスなどという無骨な楽器を選んだのかは不明だが、もちろん音楽的才能は親譲りだった。
16歳でプロ・デビューしたチャロフは、47年から49年、ウディ・ハーマンのセカンド・ハードに参加し、例の「フォー・ブラザーズ」サウンドの低音部を担当した。いち早くバップ・イディオムを消化して、このbsという鈍重な楽器で、パーカー流のバップ・フレイズを流暢に吹き鳴らして人気を博したが、病気のため退団。50年代前半のほとんどは療養でつぶしたし、結局、57年に33歳の若さで夭折する。晩年の数年間、療養の合間に残した幾つかのアルバムの中で最も有名なワンホーン・アルバムがこの『Blue Serge』である。


ブルーノートからリーダー作を出す前のソニー・クラーク・トリオ---ソニー・クラーク(p)、ルロイ・ヴィネガー(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)---をバックに演っていて、ブルージーで黒っぽい雰囲気が横溢するが、かといって、クラーク色に埋没してしまうことは全然ない。
このチャロフという男、聴いていてそう一筋縄ではいかないことがわかる。高音のハーフトーンで囁くように歌ったと思えば、急転直下バリトン最低音のブーという音で驚かしたり、突然中音域の大音量でブロウしたりと、巷で批評されているような流暢でオシャレな演奏というイメージからはほど遠いところがある。
特に、③「Thanks For The Memory」⑦「Stairway To The Stars」のバラッド演奏では、モダン期では稀有なほどヴィブラートを効かした吹奏で、スウィング期のベテラン奏者みたいな貫禄を示す。


この時期のバリトン・サックスは、西海岸の奇才ボブ・ゴードンが55年(28歳)、このサージ・チャロフが57年(33歳)、ファンキー・スタイルをバリトンに導入したレオ・パーカーが62年(35歳)にそれぞれ夭折し、ジェリー・マリガンやペッパー・アダムスの独走状態になってしまった感がある。そういう意味でも、チャロフがキャピトルに吹き込んだこの『Blue Serge』と『ボストン・ブロウ・アップ』の2枚は必聴である。


50年代の100枚リスト