白い僧院の殺人 The White Priory Murders (1934)

白い僧院の殺人 (創元推理文庫 119-3)

白い僧院の殺人 (創元推理文庫 119-3)

ロンドン近郊の由緒ある建物〈白い僧院〉――その別館でハリウッドの人気女優が殺された。建物の周囲30メートルに及ぶ地面は折から降った雪で白く覆われ、足跡は死体の発見者のものだけ。犯人はいかにしてこの建物から脱け出したのか? 江戸川乱歩が激賞した、《密室の王者》の名に恥じない不可能犯罪の真髄を示す本格巨編!(創元推理文庫

H.M.卿ものの第2弾は、前作のようなゴシック風味は影をひそめ、ひたすら「足跡のない殺人」(あるいは「雪上の不可解な足跡」)というテーマを追いかけた作品である。密室殺人の変種である「足跡のない殺人」テーマに最初に着目したのが誰だったかは知らないが、日本でも江戸川乱歩の初期の作品や鮎川哲也の諸作に使われていた。が、どちらかと言えば短編が多く、このテーマ一本で長編をものにするのはいかに難しいか想像できる。長編では、法月綸太郎の『雪密室 (講談社文庫)』や有栖川有栖の『スウェーデン館の謎 (講談社文庫)』が思い浮かぶが、彼ら新本格派の作家に対するディクスン・カーの影響は絶大だったはずだ。カー・マニアたる二階堂黎人の『吸血の家 (講談社文庫)』では、カーをまねて「足跡のない殺人の講義」が挿入されているらしいが、二階堂氏を軽視している僕は残念ながら読んでいない・・・(^o^;


カー自身もこのテーマに対する執着は強かったようで、『三つの棺』の一部にも使われたし、『テニスコートの謎』や『貴婦人として死す』でもこのヴァリエーションが登場する。それらの端緒となったこの作品は、このテーマでの古典と言っていいだろう。
状況設定は非常に込み入っているようだが、トリックの根本は単純な「コロンブスの卵」的な発想の転換であり、カー得意の「**の**」(なんのこっちゃ?)によるものだ。『帽子収集狂事件』もそうだが、乱歩はこの手のトリックがすこぶる好きだったらしく、この作品も手放しで激賞している。
専売特許のゴシック・モードや幽霊譚でミス・ディレクションを引くことはできないので、ここでは、女優マーシャ・テートを巡って渦巻く男達の愛憎や嫉妬や利害から動機を浮かび上がらせる。ある意味オーソドックスな背景だが、彼らがお互いに裁断し合うために提示するもっともらしい仮説を巡って、プロットは二転三転する。


この小説、はっきり言って非常に読みにくい。
この「雪上の不可解な足跡」というトリックは、雪の降り始めと止んだ時までの特定時間内でしか成立しないという特徴があって、その時間内での人物の行動のタイム・ラグが重要になる。真夜中に本館と別館を密かに行きかう登場人物たち、ロンドンから現場に到着する車、吼える犬・・・これらの時系列上の時間差は、カーの筆致の独特の曖昧さもあって、よっぽど注意深くメモでもしないかぎり頭に入ってこない。
ピンボケ写真のように妙に焦点のずれた翻訳が混乱に輪をかける。特に、明らかに「二、三分あとでした」とすべきところが「二、三分前でした」となっていたりして、こんぐらかった頭をますますゴチャゴチャにかき回してくれる。
この本を読むのはほとんど体力勝負と言っていいだろう。


体力勝負だよ、日本サッカー!!


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