(33) Daddy Plays the Horn (1955) / Dexter Gordon

ダディ・プレイズ・ザ・ホーン

ダディ・プレイズ・ザ・ホーン

6フィート5インチ(196センチ)の長身で”ロング・トール・デクスター”と呼ばれたデクスター・ゴードン、背もでかかったが音もでかく、そのフレージングは大胆で何より音楽のスケール自体がでかかった。長いストライドで闊歩するごとく、怒涛の後ノリで悠然と吹きまくる豪放なテナーは、これぞモダン・ジャズ・テナーといった風格で、僕にとっても最も好きなテナー吹きの一人だ。
1946年にバド・パウエルと競演したセッション(『Dexter Rides Again』)を聴いてみれば、この時期すでにバップ・テナーの第一人者であったことがわかる。その後ウォーデル・グレイとのテナー・バトルで一世を風靡するが、1952年のパサデナ公会堂でのライヴ・セッション(『ザ・チェイス (紙)』)を最後に、ゴードンは50年代のジャズ・シーンから姿を消す。もちろん、麻薬である。「麻薬のために50年代の大半を棒に振った」・・・嗚呼、このフレーズを僕は何回使ったことか。
で、麻薬刑務所で受刑とリハビリに勤しんだゴードンだったが、1955年に一時仮釈放を受け、その時に2枚のリーダー・アルバムを吹き込んでいる。『Blows Hot and Cool』とこの『Daddy Plays the Horn』で、52年以降の50年代ではゴードンのリーダー・アルバムはこの2枚しかない。再び入獄したゴードンが再起するのは1960年で、一般にこのあと吹き込んだ『Go』(1962)や『Our Man in Paris』(1963)あたりが名盤の誉れ高い。


久しぶりにこのアルバムを聴いてみたが、ほとんどブランクを感じさせないデックスらしい快演の連続だ。
①の表題曲はほとんどテーマのないミディアム・テンポのブルースだが、ウォーキング・ベースの鬼ルロイ・ヴィレガーの刻むズンズンと重たいベースラインの上を、乗り遅れ寸前の独特のタイミングで乗りこなすデクスターのドライブ感は、ジャズの「もたれノリ」のお手本だ。ケニー・ドリューのピアノも快調。ハイテンポの⑥「You Can Depend on Me」は、長いブランクの中でもこれほどのテクニックとフィーリングを維持していたのが奇跡と思えるほどの快演で、初期のロリンズへの影響がいかに大きかったかがわかる。
一方、③「Darn That Dream」や「Autumn in New York」のバラッド演奏では、ヴィネガーとドリューのバッキングがやや単調で、バラッドの名手デクスターのプレイを殺してしまっている気がする。バックバンドの良い所と悪い所が両方出ている。


この年はデクスターのヒーローだったチャーリー・パーカーが死に、盟友のウォーデル・グレイも急死しているが、共に遠因は麻薬によるものだったから、仮釈放で娑婆に出てきたゴードンにとってはかなりの打撃だっただろう。その意味では、デクスターも心中期すところがあったと推察するが、そんな簡単に足を洗えないところが麻薬の麻薬たる所以だ。
50年代後半のハード・バップ隆盛期に、このデクスター・ゴードンスタン・ゲッツという両巨匠がジャズ・シーンからリタイアしたことで、テナー・サックスのヴァリエーションは僕らリスナーにとってもチョット選択肢の少ないものになってしまったのが、すごく惜しい気がする。二人とも60年代にはカムバックするが、50年代にしかできない仕事というのもあったはずだからだ・・・。


50年代の100枚リスト