死時計 Death-Watch (1935)

月光が大ロンドンの街を淡く照らしている。数百年の風雨に黒ずんだ赤煉瓦の時計師の家、その屋根の上にうごめく人影。天窓の下の部屋では、完全殺人の計画が無気味に進行している……。死体のそばに、ピストルを手にした男が立っていたが……。奇想天外の凶器! 魚のように冷血な機略縦横の真犯人と対決するのは、おなじみフェル博士。(創元推理文庫

名作『三つの棺』と同時期に書かれた本にしては、愚作の感が強い。
第一に、ほとんど耐えられない退屈さ。犯行そのものに関する描写は30ページまでで終わってしまい、その後のプロットに動きがないので、推理のプロセス自体もなんだか冗長でメリハリのないものに感じてしまう。それを防ぐためか、5つのキー・ポイントを提示したり(「盲目の理髪師」でやったような手法)、フェル博士とハドリー警視との擬似裁判(論告と弁護)みたいな場面を挿入したりしているが、この耐え難い退屈さを救う手立てにはなっていない。


おそらく、まず凶器としての「時計の針」という突飛なアイデアがあって、このアイデアを使いたいばかりにカーはこの本を書いたのだろう。「時計の針」による殺人というただ一点をドラマタイズするために、プロットや動機が後付け的に考えられたので、どうも全体の展開がギクシャクしてしまったように思う。
フェル博士を初っ端から事件に立ち会わせたのも失敗だったのではないか?


それと、冒頭でのフェル博士のある発言が犯人の正体についてのミスディレクションになって(しまって)いるが、これは看過できない反則行為というべきだろう。


一つのアイデアに頼って物を書くときの落とし穴みたいなものを感じる。


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