(48) Brilliant Corners (1956) / Thelonious Monk

ブリリアント・コーナーズ

ブリリアント・コーナーズ

セロニアス・モンクといういささか扱いづらい才能を、単なるエキセントリックでアヴァンギャルドな異端児として黙殺しなかった50年代のアメリカは偉いなぁと思う。というか、そもそもビ・バップの揺籃となったミントンズ・プレイハウスのハウス・ピアニストとしてバップ発祥の主要メンバーとなったモンクだけれども、先鋭な実験性を内包していたビ・バップからさえも逸脱するユニークな個性は、少なくとも同時代のポピュラーな理解を得られるなどとは本人も思っていなかったに違いない。「ラウンド・ミッドナイト」等の作曲者としてレコードのクレジットにのみ名を残すか、「ああ、そんな変なミュージシャンがいたなぁ」で終わる可能性は十分あったはずだ。


40年代中葉以降ほとんどレコーディングの機会のなかったモンクを、47年に初めて専属として雇ったブルーノートのアルフレッド・ライオンもさすがだが、50年代後半にモンクがその稀有な才能を開花させたのは、リヴァーサイドのオリン・キープニュースのプロデュースによるところが大きかった。この『ブリリアント・コーナーズ』と『セロニアス・ヒムセルフ』、『モンクス・ミュージック』、『ミステリオーソ』あたりのリヴァーサイド盤が、モンクのピークを画する名盤といっていいのだろう。


初っ端の表題曲からしてすこぶるモンクらしい1曲だ。8×3=24小節の曲かと思って聴いているとどうも小節数が足りない。なんと8+7+7=22小節の曲だ。これを2回繰り返してワンセットだが、2回目はダブルテンポで演る。このイジワルな曲を奏するのは、ホーン奏者(この場合はテナーのソニー・ロリンズとアルトのアーニー・ヘンリー)にとってはもちろん、ベースやドラムスにとっても困難至極であったろう。この曲はちょっと尻切れトンボで終わるが、実のところ、何度やってもうまくいかず、未完成のまま終わった録音テープをキープニュースが継ぎ接ぎしてなんとか1曲にまとめあげたということらしい。
ベースのオスカー・ペティフォードとモンクが演奏をめぐって喧嘩になり、56年10月のセッションは、「Brilliant Corners」、「Ba-Lue Bolivar Ba-Lues-Are」、「Pannonica」の3曲を録音したのみで終わってしまう。残りは同年12月に、モンクのピアノソロの「I Surrender Dear」と、アーニー・ヘンリー(as)とオスカー・ペティフォード(b)の代わりにクラーク・テリー(tp)とポール・チェンバース(b)を加えた「Bemsha Swing」が録音された。一時代前のスタイルが基本のクラーク・テリーだが、この名人の参加がまたこの曲に奇妙な味を加えている。と同時に、モンクの超モダンな感性が、実は根っこのところでトラディショナルなジャズに通じていることを自ずと確認させる演奏だ。


チャーリー・パーカーのスタイルを主流とするビ・バップは、50年代には多くのジャズ・プレイヤーに模倣・承継され、コード進行に基づくアドリブの技法は高度に洗練されていったが、同時にビ・バップの持っていた鮮烈なアヴァンギャルド性みたいなものは角がとれて平板化する。洗練は当然のごとくマンネリズムを招来するわけである。モンクのこの時期の演奏は、ピークを迎えようとしていたハード・バップがすでにマンネリの罠に嵌まりつつあったことを、逆説的に気づかせてくれる。


50年代の100枚リスト