(29) Sings (1954,56)/ Chet Baker

チェット・ベイカー・シングス

チェット・ベイカー・シングス

決してリキまないこと。チェット・ベイカーのヴォーカリズムのルールはこれだけである。
あとは何も付け加えず、何らの技巧も凝らさず、気のおもむくままにシンプルに歌うだけ。ある意味素人っぽい歌唱である。
が、そこは若くしてウェスト・コースト・ジャズの隆盛をリードした稀有なミュージシャンのこと、こういった歌唱法が聴くものに与える効果を充分察知していたはずだ。


人間何らかのエモーションをマジで表出しようとするときは必ずどこかにチカラが入るものだが、これを限りなく排除して、ひたすら脱力すること。チェットの魔力はこの「脱力」の魔法である。あるいは感情を一切込めずに歌うこと。そこから、エモーショナルな表現とは対極にある場所に、リリカルでセンシティブな感性が浮かび上がるという仕掛けになっている。この時期、こういった一見女々しいリリシズムが充分ジャズの武器になりうることを見抜いていたのは、マイルスを除けばチェット・ベイカーだけだったかもしれない。


チェットのヴォーカルが聴けるアルバムは晩年に至るまで何枚もあるが、僕にはこの1枚で充分だ。
特に昔のLPではB面に入っていた後半の8曲(54年録音)。中でも特級品は「But Not For Me」でも「My Funny Valentine」でもなく、もちろん「I Fall In Love Too Easily」。なんと瑞々しい感性・・・。チェットのトランペットがまたキテいる。チェットの歌伴ラッパは、コード進行に合わせて8分音符を羅列するなんて野暮なことはしない。瞬時に新しくメロディーを作り出して歌うトランペット・・・アドリブというものが本来作曲の瞬間芸であったことを思い出す(あらかじめソロのアイディアは決めてあったんだろう、なんて邪推はやめておこう)。
そして、この頃、チェットの側にはいつもラス・フリーマンがいた。チェットとラスが何故こうもベスト・マッチなのかは、言葉で言いようがないが、とにかくチェットのピアノはラス・フリーマンに限るのである。
この必要十分なフリーマンの伴奏の何が不足と思ったのか、60年代にジョー・パスのリズム・ギターをかぶせたこのアルバムの偽ステレオヴァージョンが流布し、僕が若い頃はこのオリジナルヴァージョンは「幻の名盤」扱いだった。ひどい話である。


チェットは54年と56年の『シングズ』録音の合間に、『シングス・アンド・プレイズ』というアルバムも吹き込んでいる。「This Is Always」や「Someone To Watch Over Me」といった名唱を、バド・シャンクの場違いなフルートとリリシズムの意味を取り違えたストリングス・アレンジが台無しにした1枚である。
58年に吹き込んだ『It Could Happen to You』では、ケニー・ドリュー、フィリー・ジョー、サム・ジョーンズらの黒人ミュージシャン達をバックに歌っているが、何だか普通の歌伴になっていて面白くない。まことに勝手ながら、チェットのピアノはラス・フリーマンに限らせていただく・・・。チェットが麻薬のドツボに嵌っていったのは57年あたりかららしいが、この58年のヴォーカルではもう声質の劣化が始まっている。音程もかなり不安定で、サラリと歌うべき高音の歌唱が息苦しい。スキャットなんぞを駆使するに及んで、チェットの「脱力」の魔法は解けてしまった。


正真正銘のジャンキーと化したチェットは、アメリカを追い出されヨーロッパに逃げるが、そこでも麻薬の蟻地獄から抜け出せず、逮捕・投獄・・・と60年代のほとんどを棒に振った。73年にカムバックしてからのチェットのトランペットは一考に価する部分もあるが、ヴォーカルは散々だった。老醜をさらすように、まともに出ない声を酷使して苦しげに歌う悲惨なヴォーカルを、「シブミ」を増した大人の魅力などと表現するのは止めにしたいものだ。
チェット・ベイカーは1988年、自ら主演したドキュメンタリー・フィルム『Let's Get Lost』の収録直後、アムステルダムのホテルから転落して死んだが、この俊才ブルース・ウェバーの気になる映像を僕は見ていないし、たぶん一生見ないだろう。


僕は58年以降のチェットは存在しなかったことにしている・・・。
僕の中でのチェット・ベイカーは夭折のヒーローの一人として在る。


50年代の100枚リスト