(25) Bags Groove (1954) / Miles Davis

Bags Groove

Bags Groove

4小節の簡単なメロディーを3回繰り返すだけの単純至極な素材から、これほどの内実を孕んだパフォーマンスが生まれてしまう、というところがジャズという音楽の凄さだと、この「Bag's Groove」を聴くたびに思う。それは、もちろんマイルス・デイヴィスの凄さだし、ミルト・ジャクソンの凄さだし、セロニアス・モンクの凄さであって、それぞれにワン・アンド・オンリー、唯一無比の凄さであるけれど、そんな三人の凄さをバラバラに集めてみても一つの圧倒的な凄さに行き着くわけではない。その凄さは彼らがジャズという演奏システムと出会って初めて現出した凄さであって、ジャズという形式を取っ払ったあとに彼らの凄さはありえない。
そんな言い草は実存と本質(ああ古!)を取り違えていると言われても仕方がないが、あえてこんなことを言うのは、「喧嘩セッション」として有名なこのクリスマス・セッションの逸話の実際がどうだったにしろ、そこには明らかに彼らの個性を繋ぎとめる確固たる求心力としての「ジャズ」があった、と言いたいわけなのだ。変な話だろうか?
いずれにしても、ビ・バップから醸成してきたコード・アドリブを中心とするモダン・ジャズのコンセプトは、この54年の後半あたりから急速に円熟し、数多くの豊饒な果実を生み落とすことになる。


さて、この『Bag's Groove』というアルバムは、1954年6月29日に録音された5つのテイク--マイルス・デイヴィス(tp)、ソニー・ロリンズ(ts)、ホレス・シルヴァー(p)、パーシー・ヒース(b)、ケニー・クラーク(d)--と、同年12月24日録音の「Bag's Groove」2テイク--上記のメンバーからロリンズとシルヴァーが抜け、ミルト・ジャクソン(vib)とセロニアス・モンク(p)が加わる--の2つのセッションがカップリングされているが、後者のクリスマス・セッションの残り4テイクは『Modern Jazz Giants』というアルバムに分散されていて、アルバムとしてのコンセプトは台無しにされている。


「Walkin'」のセッションから丁度2ヵ月後の6月29日のセッションは、マイルスがソニー・ロリンズの才能を前面に出そうとした跡がうかがえ、名曲として名高いロリンズのオリジナルが3曲収録された。が、ロリンズは演奏の直前まで曲を手直ししていて、マイルスにせっつかれてやっと演奏にこぎつけたらしい。「Airegin」では作曲者本人がまともにテーマを吹けていないし・・・、「Oleo」では、自分のソロの出だしでつまづき(リードの不調か?)、これが後を引いたのかチョット気の抜けたソロになっている。全体に、ロリンズらしい豪放なプレイとかなりノリの悪いプレイが交差しているが、やはり薬(というか薬切れ?)の影響か?*1


「Oleo」では、サビの8小節だけにピアノのバッキングを付け、あとはピアノ・レスで演っている。この6月の時点ですでにマイルスは、ピアノを抜いてダークな雰囲気を出したり、展開にヴァリエーションを持たせたりする手法を試しているわけだが、「バグス・グルーブ」のマイルスのソロでモンクのバッキングを除いたのは、こういった試みの延長と考えれば何の不思議もない・・・喧嘩の一つや二つあったほうが面白いといえばオモシロイが(^o^;


今この「バグス・グルーブ」のマイルスとモンクを聴きながらふと思ったのだが、ここでのマイルスのように、提示した幾つかの短いモチーフを、緊張を孕んだ「間」を取り込みながら次々と変奏していくようなアドリブのやり方は、よく言われるアーマッド・ジャマル的というよりは、まさにモンク的なアプローチではないのか?などと言ったらチョットこじつけか・・・。
ともあれ、聴くたびにこんなに色んな思い込みを被せながら聴けるアルバムというのは、そんなにない。


50年代の100枚リスト

*1:なお、ロリンズがここでのオリジナル3曲を以後自分では決して演らなかったのは何故か?についての話や、このアルバムについての興味深いお話が”Bird of Paradise”にありますので、是非読んでみてください!