剣の八 The Eight of Swords (1934)

剣(つるぎ)の八 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

剣(つるぎ)の八 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

幽霊屋敷に宿泊中の主教が奇行を繰り返すという訴えがあった。主教は手摺りを滑り下りたり、メイドの髪を引っ掴んだり…さらに彼はとてつもない犯罪がこれから起こると言っているらしい。警察はその言葉を信じていなかったが、主教の言葉を裏付けるように隣家の鍵のかかった部屋で射殺体が発見される。そして死体の側には一枚の不吉なタロットカードが!続出する不可解な謎にギデオン・フェル博士が挑む。新訳決定版。(ハヤカワ・ミステリ文庫)

ギデオン・フェル博士ものの3作目。導入部にフェル博士が変装してハドリー警部をからかう派手なドタバタがあり、そっち系の雰囲気で行くのかなと思いきや、途中から結構シリアスな雰囲気に転じ、最後は随分と沈鬱なムードで終わる。このへんのギャップに違和感を感じ、最初のドタバタは無用と断ずるむきもあるようだが、実はこのばかばかしいファース調の導入部は、メインのトリックを暗示する大事な伏線になっていることに気付かねばならない。こうした一見アンバランスな笑劇の挿入は、カー以外の誰も決して使わないテクニックで、どうしてこんなことが可能かというと、よく言えば、フェル博士というキャラクターがこういった矛盾や混乱を吸収してしまうからだ。フェルというのは、なかなか侮れない不思議なキャラクターではある。


カーは、かつて『髑髏城』でバンコランとフォン・アルンハイムの推理合戦という趣向を用いていたが、ここでは、フェル博士の他に、犯罪学のマニアたる主教のヒュー・ドノヴァン、その息子でアメリカで犯罪学を履修して(?)帰ってきたドノヴァン・ジュニア、人気のミステリ作家ヘンリー・モーガン等がそれぞれ(いささか自分勝手に)調査と推理を展開する。そのうち一人が発見したある事をフェル博士が知らなかったばかりに最後の悲劇を防げなかったという展開もあり、こうした自分勝手な推理の自家撞着みたいなものを、フェルは「これは私の扱う最後の事件だよ。もう二度と、全知の神を演じるような馬鹿なまねはしないつもりだ」とかなり自虐的に批判している。
あるいは、流行推理作家モーガンとのやり取りの中で、(これまたカー自身にとってはいささか自己批判的に)ミステリ小説の現状を罵倒する場面もあっておもしろい。


メインのトリックは中盤には明かされ、「推理合戦」的な趣向もいつの間にかうやむやになり、後半は真犯人の謎や銃撃戦のサスペンスを中心に展開する。メインのトリックや食事の跡に関わるヒントもなかなかのものだし、真犯人もかなり予想外なので、どうせなら、「探偵がいっぱい」テーマをとことんまでやってしまったら結構おもしろい作品になったじゃないか、と思ったりする。どこか、中途半端なイメージが残る一篇であった・・・。


なお、今回読んだハヤカワ・ミステリ文庫版は、長らく絶版状態だった1958年のポケミス版の訳を改訳して今年の3月に発行されたばかりのもの。なによりも字が大きくて読みやすい・・・。


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