(20) Walkin' (54)/ Miles Davis

ウォーキン

ウォーキン

今までみてきた50年代初頭から53年ごろまでのジャズシーンは、いわゆるウェスト・コースト・ジャズの全盛期だった。一方、ニューヨークを中心とするイースト・コーストは、朝鮮戦争の軍需景気に沸いた西海岸に比べ経済的にも低調で、スウィング〜ビ・バップ期に隆盛したジャズ・クラブも閉鎖が相次ぎ、ジャズ・ミュージシャン達は不遇を囲っていた。それに輪をかけて、この頃のニューヨークのジャズシーンは怒涛のドラッグ蔓延状態で、一流ジャズメンの多くが麻薬の泥沼から抜け出せないでいた。そんなわけで、せっかくバップ・イディオムによる高度なコード・アドリブの技法やスーパー・テクニックを身につけていた彼らも、次の方向性を見出せないまま閉塞状態が続いていた。
こんな状況から一歩抜け出して、後にハード・バップと呼ばれるようになる音楽の端緒となったのが、1954年、マイルス・デイヴィスの『ウォーキン』とアート・ブレイキーの『バードランドの夜』(次回レヴューの予定)だった、というのが定説だ。この辺から、ジャズの主流はイースト・コーストに移り、50年代後半にはジャズの歴史の上でも空前絶後の名盤ラッシュを迎えることになる・・・。


『ウォーキン』は、
③「ソーラー」,④「ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ」,⑤「ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー」が1954年4月3日の録音。マイルス・デイビス(tp),デイヴ・シルドクラウト(as),ホレス・シルヴァー(p),パーシー・ヒース(b),ケニー・クラーク(ds)のメンバー。
①「ウォーキン」,②「ブルーン・ブギー」は1954年4月29日の録音。上記のメンバーからデイヴ・シルドクラウトが抜け、J.J. ジョンソン(tb),ラッキー・トンプソン(ts)が加わる。


4月3日の3曲*1では、マイルスはすべてミュートを付けてプレイしていて、まもなく専売特許となるハーマン・ミュートでの表現の可能性を本格的に追求したセッションだと言える。③,④でのマイルスは、中音域を主体にしたクールでインテレクチュアルなソロを披露するが、まだ後のような高音域の使い方というか、中音のダークなトーンと高音の切り裂くような金属音のコントラスト効果に気付いていないようで、特に④は叙情的だがややメリハリと切れ味に欠ける印象がある。
⑤では、ケニー・クラークの軽快なブラッシュ・ワークに乗って、マイルスのミュートが高速で突っ走る。ホットな演奏だが、バップ風の無節操さに陥らず、構成力のある知的なプレイだと思う。アルトのデイヴ・シルドクラウトはケントン楽団等で活躍した西海岸の逸材だが、リー・コニッツ風のクールなトーンがこのテイクにヴァリエーションを与えている。ホレス・シルヴァーのピアノも快調。スウィンギーで明解でわかりやすい彼のフレージングの特徴がよく出ている。ピアノソロのあとのマイルスとクラークのフォー・バースのかけあいがカッコイイ。クラークのブラシ技はうまいなぁ・・・これがブレイキーだったら大変なことになっていただろうな、なんて無用な心配をしてしまう。
ハーマン・ミュートの減音効果は高く、実際には極度に小さな音になってしまうから、録音は非常に難しい。名匠ルディ・ヴァン・ゲルダーをもってしても、この時期はまだマイルスのミュート音を鮮明に記録するには至っていない。ゲルダーも録音バランスに相当苦労したのではないか?


4月29日にはジャズ史上の名演の誉れ高い2つのブルース曲が録音された。
①「ウォーキン」の作者はリチャード・カーペンターとクレジットされているが、このカレン・カーペンターの兄貴と同名の作曲者のことを、僕は寡聞にして知らないが・・・この人だれ? ちなみに、同年3月6日のブルーノートの3回目のセッションでやっている「Weirdo」という曲は「Walkin'」と酷似しているが、こっちはマイルスの作となっているんだが・・・。
ともあれ、マイルスが模索してきた「間」を取り込んだシンプルなフレージングは、ここにきてやっと独自の表現を獲得したというべきで、この快適なスウィング感とほど良いタンギング、三連符を多用したブルース・アドリブのパターンは、同年12月の「バグス・グルーブ」の演奏にそのまま引き継がれる。
マイルスがフレーズに「間」を作ったことで、ほんとはピアノやドラムスがその「間」にツッコミ?を入れるチャンスなのだが(後のハンコックやトニーなら間違いなくそうする)、シルヴァーやクラークにそれができていないのは、逆にマイルスのこういったアドリブのスタイルが如何に前代未聞だったかを実証しているような気がする。かくして、ここでのクラークのドラミングはやや単調で平板だと批判される。
名人J.J.ジョンソンは、さすがマイルスのソロの意図を敏感に察したのか、音数を節約したシックなソロでマイルスが作った雰囲気を巧みに承継する。次のラッキー・トンプソンも、スウィング・テナー風のふくよかなトーンとシンプルなフレージングで始めるが、次第に過熱していき後半にはダブル・テンポの大ブローイングとなる。トンプソンが乗りすぎてタイムオーバーの10コーラスもソロを吹いたので、次のホレス・シルヴァーのソロはたったの2コーラスで、マイルスの2回目のソロに転ずる。
②「ブルーン・ブギー」はガレスピー作のリフ・ブルース。ハイテンポでの各人のソロは、ハード・バップの幕開けに相応しいすこぶるホットでエモーショナルな演奏だが、それでもバップ期のブローイング・セッションとはあきらかにニュアンスが違う。締りがある、というか・・・。これは、マイルスのソロもそうだが、クラークのタイトなシンバル・ワークの賜物じゃないかと思う。また言うが、ブレイキーじゃこうはならない(^o^;


長くなったが、もうひとつ。
この4月29日のマイルスの音を聴くと、非常にというか、妙に明るくて軽い音色に感じるのだが・・・。実は、この日スタジオ(というかルディ・ヴァン・ゲルダーの居宅)入りしたマイルス、「ああ、俺、ホーン持ってきてねぇや」と言って周りを唖然とさせたのだった。例によって楽器は質屋にあったのか、単に忘れてきたのかは知らないが、この日マイルスが吹いたトランペットは、プレスティッジのボブ・ワインストックの部下だったジョールス・コロンビーという人のトランクに偶然積んであった、「彼が13歳の時から持っていたおんぼろのブッシャー」だったという。ブッシャーというメーカーのトランペットは、スウィング時代に多用された、かなり明朗で軽快な音色が特徴で、マイルスが初期から(死ぬまで)愛用していたマーティン・コミッティ*2とは対極にあるホーンだ。そんなポンコツ楽器でこんな怪演をやらかしてしまうマイルス、いかにもパーカーの一番弟子らしい破天荒な逸話ではある(^o^;


50年代の100枚リスト

*1:この日のセッションのもう1曲「I'll Remember April」は『ブルー・ヘイズ』に収録されている。

*2:マーティン・コミッティは、モダン以降のジャズ・トランペッターに愛用者が多く、いわゆるダークトーンのやや翳りと深みのある音色が特徴。