帽子収集狂事件 The Mad Hatter Mystery (1933)

霧の都を跳梁跋扈する“いかれ帽子屋”! 頻発する紳士たちの帽子盗難事件に、ロンドン警視庁は閉口する(でも、E・A・ポーの未発表原稿盗難のほうが問題だ…)。ところが、ロンドン塔で他殺体が発見され、その頭に盗まれた帽子が被せられていたとなると―?! 「陰惨とユーモアの異様なカクテル」、「密室以上の不可能トリック」と乱歩も驚嘆。異色の名探偵フェル博士が活躍する、鬼才カーの代表的傑作。(集英社文庫

帽子の主な材料であるフェルトを作るのに、昔は硝酸水銀が使われていて、そのため帽子製造業者には水銀中毒で精神に異常をきたす者が多く出て・・・“mad as a hatter”という慣用句ができたらしい。これをもじって“Mad Hatter(いかれ帽子屋)”というキャラクターを作ったのがルイス・キャロルだった。『不思議の国のアリス』に出てくるマッド・ハッターは、有名な答のないなぞなぞ*1を出題してアリスを困らせるが、このマッド・ハッターのナンセンスぶりは『不思議の国』の中でも白眉だろう。カーが『マッド・ハッター・ミステリ』と題するこの探偵小説で提示した「謎」にも、どこかキャロル風のナンセンスとばかばかしさ(absurdity=不条理)が潜んでいる、などと言ったらこじつけか?


ルイス・キャロルことチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンは、オックスフォードの数学者にして古典論理学者だった。例えば『不思議の国のアリス』を、現実世界のスタティックな論理が通用しない奇妙なファンタジー世界の中で、様々な「謎」を突きつけられ次から次と「パズル」を解き明かさねばならなくなった少女の物語、と無理やり定義するならば、ディクスン・カーが19世紀的なリアリズムの対極として書いたパズラー小説群が、キャロルと奇妙に照応するなぁ・・・なんてことを考えていたら頭がぐるぐる回ってきたのでやめておく。これは卒論のテーマに取っておこう・・・(^o^;


閑話休題
江戸川乱歩が大傑作とあまりに絶賛しすぎた反動で、昨今はこの『帽子収集狂事件』は「乱歩が言うほどの傑作じゃないじゃん」というのが、定説のようだ。確かに、乱歩が評した「密室以上の不可能トリック」という宣伝文句を真に受けて、カー特有の度肝を抜く不可能トリックを期待して読んだならば、間違いなく肩透かしを食らうだろう。
この死体**トリックは、カーがその後何度も変型して使ったし、日本の古典的なミステリにも使われていると思うが、僕らにとってここでのトリックがどうもしっくり来ないのは、不可解な状況を呈するはずの死体発見現場と、そこを微妙な時間差をもって徘徊する人物達の動きが、ロンドン塔の立体的でやや複雑な構造を知らない僕らにとっては、付録の簡易な平面図を見ながらあれこれ想像しても、もうひとつイメージとしてピンとこない、ということだと思う。
むしろこの作品の醍醐味は、「帽子泥棒」の謎と「ポーの未発表原稿」の謎、そして「殺人事件」の謎が三位一体で複雑に絡み合いながら、綱渡り的なバランスで解決編に収束していく手際と、マッド・ハッターをモチーフにした奇妙な味わいのユーモア感覚にある、と言っていい。
カーの絶頂期の幾つかの代表作に横溢するこういった手法は、あきらかにこの作品から始まった。


例えばこの作品の解決篇は、犯人の自白によって否も応もなく納得させられるが、フェル博士の推理のプロセスはいささか論理性に欠け、勘と想像の積み重ねに過ぎないように見える。エラリー・クィーン流の「論理的に正しい」推理プロセスを愛好するミステリ・ファンにとっては、こうした論理の曖昧さが稚拙さと映るのだろう。即物的(realistic)な論理によらず、ある種の抽象的(abstract)な論理で推理を展開するのはチェスタートンの影響が濃厚だが、この”奇妙な味”の好き嫌いが、カーの評価を極端に分ける要因になっている。


あっ、それと・・・翻訳のはなし。
この『帽子収集狂事件』は、創元推理文庫の田中西二郎氏訳(1960年)が長いこと定番だったが、1999年に集英社文庫の「乱歩が選ぶ黄金時代ミステリーBEST10」というシリーズの一巻として、森英俊氏の新訳が出た。この新訳はその後増刷がなされていないようで、最近は品切れ状態なのが残念。僕は古本で手に入れて、読み比べてみた。
例えば、

博士のこのさっそうとした容姿には、ビールの満をひき、意気軒昂、談論風発したかつての良き時代をそれとしのばせるものがあって、ランポールをしてうたた昔日の情を催させずにはおかなかった。(田中西二郎訳)

フェル博士を目にしたランポールの脳裏には、楽しかった日々の思い出、ビールを飲み交わしながらかたむけた情熱、テーブルをたたきながらのやりとりといったものがよみがえってきた。(森英俊訳)

田中氏の古風な訳にも独特の味があるが、やはり両者のリーダビリティーの差は歴然としている。とくに、フェル博士とハドリー警部の、一見ケンカ口調の微妙にユーモラスな掛け合いや、「ビットン嬢のおしゃべり」と題された章のコミカルなしゃべり口のニュアンスは、旧訳ではあまり伝わってこない。
創元版で一度読んだ人も、手に入れば集英社版で読み返すことをお勧めする。


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*1:帽子屋が出したなぞなぞは、「カラスが書き物机に似ているのはなぜか?」というもの。