(17) Something Cool(1953-55) / June Christy

サムシング・クール

サムシング・クール

  • アーティスト: ジューン・クリスティ,ピート・ルゴロ楽団
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 1995/06/28
  • メディア: CD
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ジューン・クリスティがアニタ・オデイの後釜としてスタン・ケントン楽団に在籍したのは、1945〜49年(50年に一時復帰)だから、ピート・ルゴロが同楽団でアレンジャーとして活躍した時期とほぼ重なる。49年にリーダーのケントンが体を壊したこともあって、このビッグバンドは一時解散するが、この時独立してソロ活動を始めたクリスティは、主にポップ路線の歌を歌ったがあまり当たらず、鳴かず飛ばずの状態だったようだ。一方のピート・ルゴロは、キャピトル・レコードにA&R役として迎えられ、ニューヨークに出てタッド・ダメロンレニー・トリスターノと契約したり、あのマイルスの『クールの誕生』のスタジオ録音をお膳立てしたりしている。


そのピート・ルゴロが旧友ジューン・クリスティのために、自らバック・バンドを編成、綿密なアレンジを施してキャピトルに録音したセッションを集めたのがこの『サムシング・クール』だ。53〜55年の5つのセッションを集めたモノラル盤がオリジナルのLPだが、60年に同一のフォーマットでステレオ盤を再録音している。前者はモノクロの目をつぶった絵、後者がカラーの目を開いた絵のジャケットで区別される・・・。クリスティの歌唱そのものは、衰えの目立つ60年代に比べ、ピークの50年代のほうがいいに決まっている。そもそも、過去の再演をやること自体が衰退の証明だが、裏を返せば、一生彼女に付きまとった「クール」というレッテルが、いかに彼女のシンガーとしての経歴の障壁になっていたかがわかる。


ジャケット写真等でよく見かけるショート・ヘアーの若々しいクリスティは、例えばジュディー・ガーランドやドリス・デイのような人なつこくてコケティッシュな印象を与えるが、このアルバムでの歌声はといえば、「クール」という形容に相応しく、聴衆との安易な迎合を拒絶するようなハイ・ブロウで硬派の印象が強い。ヴォイス・コントロールは完全にホーン・ライクで、アニタ・オデイのようなフェイクやアドリブは少ないものの、やはりポップ・シンガーとは一線を画すジャズ・ヴォーカルの表現だ。
声質は「ケントン・ガールズ」の中では一番ハスキーの度合が高い。ふと、昔「テネシー・ワルツ」と歌った江利チエミの声と似ているなぁ、などと思った・・・古いな〜(^o^;


ナチスの迫害を避けてアメリカに移住したユダヤ系フランス人、ダリウス・ミヨーは、フランス現代音楽の巨匠の一人で、特にウィンド・アンサンブル(吹奏楽)系の高度なアレンジは有名だが、彼のスクールで学んだピート・ルゴロも、もともとはトランペット奏者で、やはりブラスのダイナミックなアレンジが先鋭かつ秀逸だ。
知る人ぞ知る、ウェスト・コースト・ジャズの立役者にして「クール」ブームの陰の仕掛人だったピート・ルゴロだが、昨今は、彼がケントン楽団に提供した圧倒的にモダンなアレンジ群は、残念ながら国内盤ではほとんど聴けなくなってしまった。
だから、この『サムシング・クール』などは、ルゴロのスコアをまとまった形で聴ける数少ないアルバムのひとつなので、ぶっちゃけ(クリスティ様には申し訳ないが・・・)、これは「ピート・ルゴロを聴くアルバムだ」と思っているのは、僕だけじゃないだろう、たぶん。


クリスティは、若い頃から酒豪として有名で、ケントン時代この女傑と呑み比べをしてぶっ倒れなかったのは、アート・ペッパーぐらいだった、という逸話が残っている。ハスキー・ヴォイスは声帯の負担が大きく衰えが早いと言われるが、このアルコール浸りも影響して、彼女は60年代には第一線を退いた。
なお、ウィキペディアの「ジューン・クリスティ」の項に、彼女についてのよく整理された説明があり、とても参考になった→ここ


50年代の100枚リスト