(16) Sings Lullabys of Birdland(1953-54)/ Chris Connor

バードランドの子守唄

バードランドの子守唄

最近は、NHK紅白歌合戦のバックバンドは”奈落”で演奏しているみたいだが、昔は、紅組と白組にそれぞれ専属のフルバンドがついて、壇上に並んで演奏していたのだった。紅組のバックはいつもシャープス&フラッツで、白組のバックはスィング・ビーバーズとか東京ユニオンとかだったなぁ・・・。で、出場歌手たちも、これらの一流ビッグ・バンドの伴奏で歌うのが、大晦日の晴舞台だったっていうわけ。なつかしいね。


で、スウィング時代にはこうしたビッグバンドに歌手やコーラスが加わって、あっちこちのボールルームみたいな会場を巡業して回り、そこに皆が集まって音楽を聴いたり踊ったりするのが、典型的な芸能のパターンだったのだ。歌手にとっても、有名楽団のバンド・シンガーっていうのが最初に目指すステイタスだった。
それが戦後になると、レコード・プレイヤーが急速に普及したのと、ビ・バップ以降、スモール・コンボでの演奏が一般化していったりして、「ビッグ・バンド+シンガー」という大所帯のフォーマットは経済的に立ち行かなくなり、急激に衰退してしまう。
そんなビッグバンドの冬の時代だった50年代前半にも、ビッグ・バンド+歌手という形態を維持していた数少ないバンドの一つが、スタン・ケントン楽団だった。ケントン楽団の歌姫「ケントン・ガールズ」として有名だったのが、アニタ・オデイ、ジューン・クリスティー、そしてクリス・コナーの三人。もう一人、稀世の美人シンガー、アン・リチャーズがいたが、彼女はリーダーのケントンが食ってしまい(^o^;、その後離婚して、最後は自殺してしまう・・・まあ、こういう話題は楽しくないので、詳しくは触れないでおく。


『バードランドの子守唄』は、クリス・コナーがケントン楽団から独立した直後、ベツレヘムと契約して吹き込んだ3つのセッションを収録したもの。


最初の5曲は、54年1954年8月の録音。エリス・ラーキンス・トリオの伴奏で、ベースとリズムギターがビートを刻み、ピアノがオブリガート風にからむ。つまり、ドラムレスだから、コナーの繊細なトーンを隅々まで聴くことができる。ピアノのエリス・ラーキンスはエラ・フィッツジェラルドの伴奏者としても知られる名手で、ここでも歌伴の極意を知った玄人芸でコナーをバックアップする。
アルバムタイトルにもなっている1曲目の「バードランドの子守唄」は、もともとはジョージ・シアリングが作ったインスト・チューンに歌詞をつけたもの。バードランドとは、もちろんチャーリー・パーカーのニックネイムを冠した巨大ジャズクラブの店名。この曲は、同じ54年の12月にサラ・ヴォーンクリフォード・ブラウン達とやったヴァージョン(サラ・ヴォーン・ウィズ・クリフォード・ブラウン+1)もあるが、得意のスキャットを駆使したサラのノリノリの歌唱とは対照的に、クリス嬢はあくまでストレートに知的なヴォイス・コントロールと豊かな含蓄で迫る。
今回、このアルバムを3回通して聴いたが、最初は「はぁ、こんなもんか〜」という感じだった。コナーの歌はかなり地味なのだ。それが、3回目になると、この地味さが深さを内包していることがよ〜くわかる。この中低音の、伸びのある、でもかなり抑制の効いた、ほんのちょっとだけハスキーな独特のトーンは、一旦はまるとヤミツキになるだろう。
丁寧至極な歌いっぷりの②や⑤のバラッドなどは、噛めば噛むほど味が出るスルメの味(^o^;


次の6〜8曲目は、サイ・オリヴァーのビッグ・バンドを背景に歌ったもので、53年12月の録音。まだケントン楽団を出たてのコナーが、バンド・シンガー&エンターテイナーとしての実力を見せ付けた歌唱だ。サイ・オリヴァーのアレンジはどっちかというとスウィング調で、古きよき時代の「興業」の楽しさを思い出させる。


最後の9〜14曲目は、54年8月、ヴィニー・バーク・カルテットの伴奏。ヴィニー・バークのベースにクラリネットアコーディオン、ギターという変則の編成で独特のオシャレな雰囲気を醸す。⑪「星影のステラ」では、ドン・バーンズの珍しいアコーディオンのアドリブ・ソロが聴ける。
ヴィニー・バークはタル・ファーロウ・トリオのレギュラー・ベーシストだったと思うが、このカルテットと同じフォーマットで、『ベース・バイ・オスカー・ペティフォード&ヴィニー・バーク』という好演がある。


というわけで、これは1つぶで3度おいしい、ヴォーカル・ファンにとっては一度食べたらやめられないアルバムだろう。


50年代の100枚リスト