魔女の隠れ家 Hag's Nook (1933)

魔女の隠れ家 (創元推理文庫 118-16)

魔女の隠れ家 (創元推理文庫 118-16)

チャターハム牢獄の長官をつとめるスタバース家の者は、代々、首の骨を折って死ぬという伝説があった。これを裏づけるかのように、今しも相続をおえた嗣子マルティンが謎の死をとげた。〈魔女の隠れ家〉と呼ばれる絞首台に無気味に漂う苦悩と疑惑と死の影。カー一流の怪奇趣味が横溢する中に、フェル博士の明晰な頭脳がひらめく……!(創元推理文庫

初期のシリーズ探偵だったアンリ・バンコランに一旦見切りをつけ、次の探偵役を模索していたカーが、最終的に行き着いたのが、ギデオン・フェル博士というキャラクターだった。後のH・M卿は、このマイナー・チェンジというべきで、フェル博士こそカーが作り出した探偵役の terminus ad quem だったといっていい。まるで巨漢探偵の体重で重しを押したように、作品全体に安定感がでているから不思議だ。


前作『毒のたわむれ』でのちょっとギクシャクした退屈な筋の展開とは打って変わって、この作品のプロットはよく整理されてテンポもよく、リーダビリティーは格段にアップしている。フェル博士というキャラの創造が、いわばこの作品に軸を与え、この軸を中心にカー特有の様々なアンビバレントな要素が、うまくバランスを保って回転しているように見える。
ワトソン的役割のタッド・ランポール青年とドロシー・スタバースとの出会いの場面は、ほとんど映画的で、気の利いたラブ・コメディーの風味だが、こういった爽やかな描写と、「魔女の隠れ家」と呼ばれる絞首台跡を描写するおどろおどろした筆致とのコントラストが鮮やかだ。
が、カーの技量の高さを感じるのは、日記や告白文の挿入によって間接的に人物の心理描写にリアリティーを与えたり、卑俗で素朴な執事バッジの視点に切り替えて、陰惨な場面にコミカルな味を加えるといったような、作家としてはワンランク上の技巧である。こうした意識的なナラティヴ・フォームの変化が、筋の平板さを防ぐとともに、作品のエンタメ化に貢献している。


推理ネタの中心となるのは、一篇の詩に隠されたクロス・ワード風の暗号の謎と、犯人の巧妙なアリバイ・トリック。暗号解読のヒントを与えるのがドロシー嬢で、フェル博士が面目を潰されてドギマギするあたりがまた面白い。一定距離の外部の建物から現場を眺める構図がアリバイ工作と関連してくるシカケは、『髑髏城』と似ている。このアリバイ・トリックは、丹念に伏線を追っていけば推理できるかもしれないが、犯人はかなり意外といえば意外だ。
最後までシラを切る犯人が最後に記す告白文の中に、利欲にとりつかれた犯人の業の深さと、人生の失敗者の悲哀をにじませるあたりが、うまい。


目を引く不可能トリックのようなものはないが、小説としてはうまくできている。これを佳作という。


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