(13) Miles Davis Vol.1 & Vol.2 (52-54) / Miles Davis

マイルス・デイヴィス・オールスターズ Vol.1

マイルス・デイヴィス・オールスターズ Vol.1

マイルス・デイヴィス・オールスターズ Vol.2

マイルス・デイヴィス・オールスターズ Vol.2

前の『Dig』の項でも書いたが、50年代初期のマイルス・デイヴィスは麻薬漬けの毎日で、精神的にも経済的にもどん底を這い回っていた。そんな泥沼状態のマイルスを拾ってくれたのがブルー・ノートのアルフレッド・ライオンで、ほとんど仕事のなかった52年のマイルスに唯一のスタジオ・レコーディングの機会を提供した。この時期、マイルスは基本的にはプレスティッジのプレイヤーだったが、ライオンとの口約束で、54年まで年1回づつ3回のセッションがブルー・ノートに吹き込まれた。この3回のセッションをまとめたのが、ブルー・ノート1500番台の筆頭を飾るこの2枚のアルバムだ。
この音源は、アメリカでも日本でも、その後いろんな形で編集されて出されていて、ちょっと頭が混乱する可能性があるので、一応セッション順に整理しておく(→ここ)。


52年と53年のセッションは、共に3管編成のセクステットで、『クールの誕生』での経験を生かしたビッグ・コンボ・アレンジの妙が各所に聴ける。この時期に特徴的なのは、ちょっとモーダルなニュアンス(ワン・コード)のブレイクや、循環コード、セカンド・リフなどを差し挟んで、バップ的なアドリブの単調な連続を回避しているところだろう。肝心のマイルスのプレイは、時々ハッとするような見事なフレーズを吹くが、全体的にはちょっとダラケ気味でメリハリに欠ける部分が多い。「Yesterdays」や「HowDeep Is the Ocean」のバラッド演奏も、シンプルさや叙情性を狙っているが、まだ独自の表現を得ているとは言いがたい。「Dear Old Stockholm」は、56年の決定版とほぼ同じアレンジでやっていて、マイルスの哀愁漂う吹奏がなかなか聴かせるが、やはりもう一歩切れ味に欠ける。
この時期のマイルスは薬中のピークで、クスリを買うために大事な楽器も質に入れていることが多く、マウスピースだけを持ち歩いて、楽器は人に借りて吹いていたらしい。この2つのセッションでも、自分の楽器だったかどうか、甚だ疑問だ(^o^;


マイルスは自伝の中で、1953年の11月にイースト・セントルイスの実家の部屋にこもって苦闘の末自ら麻薬癖を克服した、と誇らしげに語っているが、周辺の証言によるとその後も若干尾を引いていたらしい・・・。まあ、いずれにしても54年の3月頃には”ほぼ”ジャンキーの汚名を返上したということにしておく。
で、そのクリーン・マイルスが自作曲も揃えて、心機一転スタジオに臨んだのがこの3回目のセッションだ。54年は、この後プレスティッジに『Walkin'』や『Bags Groove』を吹き込んでいるが、これらの快進撃の端緒となったのがこの3月6日のセッションだったと言っていい。
早いテンポのオープン・プレイに関して言えば、バップ期のマイルスとは見違えるようなテクニックとドライヴ感を示しているし、「Take Off」 でのちょっとクロマティック(半音多用)なアドリブや、「Weirdo」というブルース(Walkin'とテーマがほとんどいっしょ)での7th音やテンション・ノートを意識的に使ったプレイを聴くと、マイルスが相当高度なレヴェルでコード・アドリブの手法を突き詰めていたことが解る。シンプルなフレージングを志向していった『Walkin'』以降のマイルスよりも、むしろ先鋭でアグレッシブなプレイだ。
で、「It Never Entered My Mind」。56年のレギュラー・クインテットでの同曲の演奏は、マイルスのミュート・プレイのひとつの到達点になるわけだが、ここでのミュートの音は(あまり高音を使っていないこともあって)ややくぐもった感じで、あの闇を引き裂くような鮮烈な金属音とは程遠い。ここで朝顔に刺さっているミュートは、多分、後にマイルスの専売特許となるハーマン・ミュート(ハーマン社製のワウワウミュートの一種)ではなく、ストレート・ミュート系のものじゃぁないかと思う(が、自信なし)。とはいえ、演奏の構成や、間の使い方、盛り上げ方は明らかに56年頃のバラッド・プレイの原型となっていて、とっても貴重なテイクであることに変わりはない。


ここにきて、惰眠を貪っていた巨人がついに目を覚ました、って感じだ。


50年代の100枚リスト