(11) Gerry Mulligan Quartet (52-53) / Gerry Mulligan

オリジナル・ジェリー・マリガン・カルテット

オリジナル・ジェリー・マリガン・カルテット

ジャズを撮った映像で僕が一番好きなのは、ビリー・ホリデイが1957年のTV番組で「Fine and Mellow」を歌うシーンだ。死の2年前のビリーがレスター・ヤング(彼も2年後に死ぬ)と一瞬視線をかわす場面がジ〜ンとくるが、ビリー、レスター、そしてジョー・ジョーンズ、ベン・ウェブスターコールマン・ホーキンスといったジャズの生き字引たちと混じって、バリトン・サックスを吹いていた短髪・長身・痩せ型の若造がジェリー・マリガンだった。
巨大なサックスを操るマリガンの挙動からは、すでにジャズの巨人達の圧倒的な貫禄に引けをとらないオーラのようなものが微かに漂っていて、さすが凡才とは違うなぁ、と感じてしまう。


ジェリー・マリガンジーン・クルーパ楽団にアレンジャーとして入り、 「ディスクジョッキー・ジャンプ」という自作の曲をヒットさせた時はまだ18歳か19歳の若さだった。ニューヨーカーであるマリガンは、『クールの誕生』のマイルスとのコラボレーションのあと、51年に西海岸に移ったが、この頃、(先日アップした)スタン・ケントン楽団にも完成度の高いアレンジを提供している。そして、ライトハウスやヘイグといったジャズ・クラブでの共演で意気投合したチェット・ベイカーらと結成したのが、世に言う「オリジナル・カルテット」だった。


このピアノレス・カルテットという発想がどこから生まれたかは知らないが、アルバムのライナー・ノーツなどを読むと、このカルテット結成の直前のセッションでピアニストのジミー・ロールズが現れず、やむなくピアノレスで数曲録音したなどという経緯があり、案外偶然の産物だったような臭いもする。
ドラム・ベース・ピアノ(またはギター)がリズムと和音を提示し、このリズムセクションの上に乗っかってホーン楽器がメロディーやアドリブを展開する、というコンボ演奏のパターンは、サッチモ以来、ジャズのみならずあらゆるポップ系音楽の標準になったわけだが、このリズムセクションの一角であるピアノ(つまりコード楽器)がない場合、どういったパフォーマンスが可能であるか、が当然ながら要点となる。
マリガンとベイカーの掛け合いは、ディキシー・スタイルの集団即興演奏への回帰というよりは、もっと計算された音の交差であって、むしろバロック的な対位法に近い、などという興ざめな議論はやめておくに越したことはない。


西海岸のジャズ系レコーディングの一翼を担ったパシフィック・レーベルのリチャード・ボックは、このマリガン・カルテットの録音をしたいが為にレーベルを設立したとも言われ、運良く第一弾のマリガン・カルテットの10インチ盤*1と「バーニーズ・チューン」や「木の葉の子守唄」のシングルが巷で大ヒットを飛ばした。この大ヒットは、ウェストコースト・ジャズ・ブームの端緒となるわけだが、もちろん、ピアノレス・カルテットの物珍しさや音楽的理念が評価されたわけではなく、スウィングや黒人ジャズとは違うアーバンで洗練されたセンスが、新時代のポップスとして大衆に受けたのだろう。
50年代前半の数年間に隆盛を極めたウェストコースト・ジャズがほどなく衰退してしまうのは、それがポップでありア・ラ・モードであったがゆえの宿命だった、といえば短絡的にすぎるだろうか?
いずれにしても、西海岸ジャズの流行はすたれるが、マリガンやベイカーといった才人たちとその音楽は、紆余曲折こそあれ、時代を超えて生き残ることになる。


あっ、アルバムの中身のことを全然書かなかった・・・まあいいや。


50年代の100枚リスト

*1:パシフィック・レーベル第一弾のPLJP1は、①〜⑧を収録していた。昨今のCDは、これとPLJP5をカップリングしている。あっ、それとオリジナル・カルテットのコンプリート盤もあるが、このパターンをあんまり続けざまに聴くとチョット食傷ぎみになって、無性にピアノが聴きたくなるかもしれない。