(10)Hi-Fi Ellington Uptown (52)/ Duke Ellington

前に、「サッチモが活躍した20年代のシカゴあたりのサウンドを、白人が模倣・リフォームしてポップにしてしまったのがスウィングだった」てなことを書いたが、もちろんスウィング・ジャズを担った多くの白人ビッグ・バンドの直接の手本となったのは、20年代フレッチャー・ヘンダーソンデューク・エリントンの初期ハーレム楽団だった。
スウィング時代にビッグ・バンドが乱立する中でも、エリントン楽団は別格の老舗として崇められたが、バップの台頭に押されて多くのスィング・ビッグ・バンドが解散や経営不振に陥る1950年前後には、さすがのエリントン楽団も危機に瀕していた。


このアルバムは、51年にジョニー・ホッジスやローレンス・ブラウンが退団した穴を、ファン・ティゾールやルイ・ベルソンの加入で埋めてなんとか建て直し、心機一転、最新の録音技術(要するにLP録音)で収録した作品だ。
若い頃ジョニー・ホッジスのアルトに嵌まったことのある僕にとって、ホッジスのいないエリントン楽団なんて・・・というわけで、このアルバムが有名なのは知っていたが、実は今回初めて聴いた。


30年代〜40年代初頭の黄金期に比べると、メンバーはかなり若い。ということは、すでにバップの洗礼を受けたミュージシャンも多く、シャープで洗練されたブラス・アンサンブルなどを聴くと、モダン系のバンドと聴き違えるほどだ。ジャングル・サウンドと称されたエリントン独自の黒い不協和音が、こうしたメンバーで奏すると、例えば前回挙げたスタン・ケントンのプログレッシブな不協和音と紙一重に聴こえるのだ。
当時27歳のルイ・ベルソンの大迫力のドラミングが、傾きかけたこのバンドに生気を与えているのは確かだが、僕としてはやはりレイ・ナンスの泥臭いプランジャー・ミュートやハリー・カーネイの豪放なバリトンが出てきてやっと安心する。


LP時代の到来にあわせて収録された10分を超える壮大な組曲や、ベティー・ロッシュがバップ・スキャットで歌う「A列車」が評判をとったこのアルバムだが、僕にとっては、エリントン・バンドの再生はジョニー・ホッジスが復帰する55年、そして56年のニュー・ポートでの怒涛のパフォーマンスを待つことになる。
ホッジスのいないエリントンなんて・・・。


50年代の100枚リスト