蝋人形館の殺人 The Corpse in the Waxworks (1932)

蝋人形館の殺人 (Hayakawa pocket mystery books (166))

蝋人形館の殺人 (Hayakawa pocket mystery books (166))

陳列館に飾られていた蝋人形「人殺しのルシャール夫人」は、娘のあとを追って階段を降りていった。翌日、娘の溺死体がセーヌ川に・・・(ハヤカワ・ポッケット・ミステリー:166)

蝋人形館といえば、ピーター・ラヴゼイの「マダム・タッソーがお待ちかね」(Waxwork)やコロンボの「ロンドンの傘」を思い出すが、ロンドンの蝋人形館で有名なマダム・タッソーはフランス人だったし、もともと蝋人形の歴史はフランス革命の事跡を具現化する目的で発祥したらしい。そういえば、「肉の蝋人形」というB級ホラー映画があったが、原作は確かガストン・ルルーだった。
というわけで、蝋人形は古くからミステリやホラーの格好の素材だったわけだが、蝋人形が醸す独特の怪奇と恐怖は、普通の人形レヴェルを超えた異様なリアリティーにあるわけで、出来ばえの良い蝋人形は、例えば死後間もない屍のように、生命と物質の境界線上で圧倒的な死への予感と恐怖を演出するだろう。(なに言ってんだか・・・)


蝋人形の立ち並ぶ室内を死体の(一時的な)隠し場所にするのは、ほとんど常套手段だが、カーのやりかたは一風変わっていて、伝説のサチュロス(獣人)の蝋人形の腕に死体を抱かせるという趣向である。この、そこまでやるか?的なグロテスクな演出は、ドロシー・セイヤーズをして「不調和な狂気に満ちた恐怖」と呼ばせたカーの専売特許だった。
でも、こういったグラン・ギニョール趣味はこの作品ではあまり膨らませていなくて、むしろカーの描写の大半は、パリの裏街をめぐる風俗の描写に割かれている。『夜歩く』に続いてのこうした風俗小説的な筆致は、この時期のカーの特徴的な傾向と言っていいだろう。
もうひとつ、後半ジェフ・マールが某所に潜入してから繰りひろげる一風ハードボイルド・タッチの暴力描写は、後のカーが得意としたどこかドタバタ風の冒険譚とは一線を画すもので、むしろ後年のカーが排除していった手法だと思う。


いささか唐突に明かされる真犯人は、ヴァン・ダイン的なフェアプレイからすると反則寸前というべきか。
そして、最後にバンコランが犯人に強いる行為は、何気なくやるのが常套だが、ここまで執拗に強制するのは他に読んだことがない。冷徹なメフィストフェレス=バンコランの面目躍如といっていいが、これは明らかにやりすぎだろう・・・。


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