(7) Dig(51) / Miles Davis

ディグ+2

ディグ+2

『うたかたの日々(日々の泡)』や『墓に唾をかけろ』等の作家として名高いボリス・ヴィアンは、実は、サン・ジェルマン・デ・プレの酒場でジャズを吹くトランペッターだったし、雑誌やラジオで先端のジャズを紹介・評論したりして、フランスではジャズのオピニオン・リーダー的な存在だった。ヴィアンは、早い時期からマイルス・デイヴィスを高く買っていて、バップ・ミュージシャンの中でも特異な存在としてマイルスを賞賛していたが、1949年(例の『クールの誕生』の3回のスタジオ録音の合間)、マイルスが初めて渡仏した際はほとんど追っかけ状態でマイルスに付いて回った。
そのヴィアンが、当時駆け出しの歌手&女優だったジュリエット・グレコを紹介し、マイルスはコロッと恋に落ちる。マイルスのグレコへの恋心は大西洋を隔ててかなり後年まで続いたようだ。


49年にパリで開かれた伝説的なジャズ・フェスティバルの目玉はチャーリー・パーカーだったが、マイルスはパーカーのコンボではなく、タッド・ダメロンのグループの一員として参加した。ヴィアンの後押しやグレコとの出会いに気を良くしたのか、この時のマイルスのプレイは絶好調で、この時期では最も突出したホットな演奏だったとされている。
今だ黒人差別の激しかったアメリカとは違って、20年代のジョセフィン・ベイカー(褐色の女王)やニグロ・レヴューの大ヒットに始まって、黒人ジャズも全く違和感なく受け入れたフランスは黒人ジャズメンの天国で、多くのアメリカのプレイヤーがフランスに移住し或いは長期滞在することになる(ケニー・クラークバド・パウエルデクスター・ゴードン等々・・・)。
10日間のパリ滞在で聴衆から受けた最大限の喝采は、マイルスに大きな自信を与えただろうし、ヴィアン、サルトルグレコらとの邂逅から感じとったフランスのエスプリが、マイルスの音楽にそれなりのインスピレーションを与えただろうことは想像に難くない。


ところが、夢のようなパリ巡業を終えてアメリカに帰国すると、過酷な現実に消沈したのか、グレコへの思慕が欲求不満を呼んだのか、マイルスは数年前から嵌まっていた麻薬にドップリ浸かるようになる。1950年にはヘロイン所持でアート・ブレイキーと共に逮捕されるなど、マイルスはパーカー顔負けのジャンキーになっていた。
でもって、その頃、新進気鋭のテナー奏者ソニー・ロリンズもやはり過度のヤク中に陥っていた・・・。


って、なんだかマイルスの伝記の抜粋みたいになってしまったが、『ディグ』の話だった(^o^;


まあ、そんな状況のなか、1951年の10月、マイルス、ロリンズ、ブレイキーのジャンキー仲間に、当時マイルスと弟分のように付きあっていたアルトのジャッキー・マクリーンを加えて吹き込んだのが『ディグ』というアルバムだ。
よく、『クールの誕生』と比較して、マイルスはこのセッションでクール派からコロッと宗旨替えしてハード・バップ的な路線に方向転換したように言われるが、もちろんそんな単純な図式であるわけはない。
『クールの誕生』は、マイルスの音楽の屋台骨を支えたギル・エヴァンスとのコラボレーションの端緒だったが、こうしたグループ演奏のスタイルを模索する音楽的実験は、後々まで一貫して続いていくのであったし、一方でまた、マイルス本人の演奏スタイルの志向性は、パーカー・バンドの頃からある意味一貫していたわけで、それはクールとかハード・バップとかのラベルで区切れる代物ではない。
このアルバムは、あくまで、マイルスがバップ期から試行錯誤を重ねながら、50年代中葉にやっと自分自身の表現を確立する、その過程での貴重な1枚と捉えたい。


マイルスは、同じ年の1月、久しぶりにチャーリー・パーカーのレコーディング・セッション(『スウェディッシュ・シュナップス+4』)に参加しているが、この時の演奏と『ディグ』でのプレイを比べてみるとおもしろい。
例えば、前者での「K.C.ブルース」と後者での「ブルーイング」。共にピアノはウォルター・ビショップでミディアム・スローのブルースだが、「K.C.ブルース」でのマイルスのソロは、先行のパーカーのアーシーで変幻自在なプレイに煽られたのか、独自のクリアーなトーンとシンプルなフレーズで対抗しようとするものの、どこか中途半端で朴訥なイメージがつきまとう。あるいは、一発芸の大家であるパーカーとは違って、わずか2コーラスのソロの中では、浮かんだアイデアをヴィヴィッドなフレーズにまで纏め上げることができずにいる、という感じもする。
『ディグ』は、当時最先端のマイクログルーヴと呼ばれる技術で録音されたプレスティッジ最初の10インチLPで、「ブルーイング」の収録時間は9:59もある。この違いは大きい。時間的な制限から開放された余裕からくる独特の「間」のようなものが、曲全体を支配している。マイルス自身のソロも、シンプルさと独特のブルース・フィーリングに溢れていて、後の「バグス・グルーブ」でのプレイを彷彿とさせるようなフレーズが時折だが垣間見られる。
この2枚のアルバムを聞き比べてみて、SPの「3分の壁」を打ち破った録音技術の進歩というものが、ビ・バップからハード・バップにいたる試行錯誤の中で、実は想像以上に大きな役割を果たしたのではないか、と感じる。


50年代の100枚リスト