(4)Charlie Parker With Strings / Charlie Parker(49-50)

Charlie Parker With Strings: The Master Takes

Charlie Parker With Strings: The Master Takes

Verve期のチャーリー・パーカーの録音は、このウィズ・ストリングスやラテン・バンドとの共演、ビッグ・バンドやコーラス隊とのセッションなど、ユニークなフォーマットのものが多く、曲目もポップやラテンのスタンダード曲の割合がかなり多かった。
これらのレコードを、稚拙なアレンジがパーカーのソロを台無しにしているとか、ノーマン・グランツの大衆化路線の餌食になった、などとネガティブに評するのは簡単だが、僕なんかは、パーカーを聴くなら是非Verveのパーカーから聴いてほしいなどど思う一人である。


チャーリー・パーカーほど「アドリブ=命」だった奴はいない。
だから、こうした余計なアレンジやバック・バンドは自由なアドリブの足枷になったと思わせるが、逆に、どんなシチュエーションでも咄嗟に適応して怒涛のパフォーマンスを繰り出すのが天才の天才たる所以でもある。実際、練習テイクを含むVerveのコンプリート盤などを聴いていると、バードはどんなフォーマットやアレンジにおいても、新鮮なシチュエーションを楽しみながら、嬉々としてアドリブに臨んでいるようにも見える。


SavoyやDialでのパーカーは、主にハイ・テンポなバップ・チューンでコード・アドリブの天才ぶりを見せ付けたが、パーカーはまた、スタンダード曲の1つのモチーフやフレーズを自由自在にフェイクして全体のプロットの中に見事にはめ込む驚くべき瞬間芸の巨匠でもあった。スタンダード曲を演るときの、こうしたバードの名人芸の一端が楽しめるのも『ウィズ・ストリングス』の魅力のひとつだが、なんといっても、テーマ吹奏の切り込み方や、絶妙なオブリガートのタイミングは、サキソフォンによるスタンダード演奏のお手本だった(もちろん、この時期にはすでに模倣されつくされていたが・・・)わけで、このアルバムにはある意味バップ期のスタンダードやバラッド演奏の歴史が詰まっている。


先日、Rick Margitza というテナー奏者の「Everything Happens to Me」(This Is New)を聴いた。コルトレーンの『Ballads』のスタイルを踏襲した美しい演奏だが、ここでもパーカーの『ウィズ・ストリングス』でのあのフェイクが顔をだしていた。バードの影響力のすごさを実感する。