(3) Subconscious-Lee / Lee Konitz (49-50)

Subconscious-Lee

Subconscious-Lee

よくトリスターノ派の音楽理論とか言うが、それがどんな理論だったのか僕は良く知らないし、たいして知りたくもない。
20世紀初頭から始まった西欧流のモダニズムは、文芸のあらゆる分野に影響を及ぼしたが、ことジャズに関する限りは、どんな机上の抽象的な理論も理論として重要であったためしがない。理論はあくまで現場のパフォーマンスを通して遡及的・後付的に確かめられるだけなのだ。だから、トリスターノの理論といっても、僕らは御大やリー・コニッツやワーン・マーシュらの具体的な音源を通して辿るしかないし、そうでなければ理論など無意味だ。


で、リー・コニッツ初期の代表作と目されるこのアルバムだが、師匠のトリスターノはもちろん、テナーのワーン・マーシュ、ギターのビリー・バウワーが参加しているから、とりあえずトリスターノ派の音楽がどんなもんだったか、手っ取り早く感得できる。
サウンドとしては基本的にビ・バップのコンセプトからさほど逸脱しているようには思えない。バップのコードやハーモニー理論のテンション部分を、チョット現代音楽風に強調したといった感じがする。
了解事項として意識的にやっているのは、クリシェ的な装飾表現を極力排して演奏する、ということなのだろう。このあたりは、モダン・アートというよりも、白い豆腐のような禁欲的な四角い箱を目指したモダニズム建築の戦略に相似しているような気もする。


言葉の本来的な意味でもっとも「クール」なのはワーン・マーシュのプレイだろう。冷たく、心地よい。テナーとアルトという楽器の差もあるだろうが、コニッツのプレイは「クール」というには、あまりにも鋭利な刃物のように鋭く、むしろ強烈な野生味や攻撃性を感じる危ない演奏だ。まあ、これはバードがマジで疾走するときの切れ味、あるいはマイルスのミュートプレイにおけるドリルで穴を穿つような鋭さにひと脈通じている、といえばいえる。いずれにしても、ここでのコニッツのプレイは、50年あたりの演奏の中では群を抜いたレヴェルだが、こうした根っからのインプロヴァイザーにとって、「トリスターノ派」だの「クール派」だのといったレッテルが、いかに邪魔だったかは、想像に難くない。