チャーリー・パーカー Charlie Parker

Bird: Complete Charlie Parker on Verve

Bird: Complete Charlie Parker on Verve

チャーリー・パーカーは、僕にとってはモダン・ジャズのターミナルだ。
モダン・ジャズの原点たるビ・バップが、40年代のパイオニア達---例えばパーカーのほかにケニー・クラークセロニアス・モンクチャーリー・クリスチャンディジー・ガレスピーバド・パウエル等---がハーレムのジャズ・クラブで繰りひろげたジャムセッションから自然発生的に生まれた、とする議論は僕にはいささか曖昧でしっくりこない。むしろ、バップはチャーリー・パーカーが一人で作った、とあえて極言してしまったほうがスッキリする。少なくとも、パーカーが40年代の前半に編み出した革新的なアドリブの手法と、それを実践するために身につけたスーパー・テクニックは、モダン・ジャズのあらゆる演奏の土台となった。
パーカーがアドリブ演奏の中で”実践”したコード進行の概念は、あと付け的に理論化され、ジャズのみならずあらゆるポピュラー音楽の楽理やヴォイシングの基礎になったが、一方、このコード進行という枠組みの中でいかに自由でヴィヴィッドな即興演奏を展開できるか、というパフォーマンス上の課題は、40年代後半から60年代にかけて、ハード・バップ→モード・ジャズ→フリー・ジャズというスタイルの変遷の中で極限まで追求された。
パーカーの変幻自在なアドリブのスタイルには、明らかに「自由」の極限を志向する方向性があったし、ある意味、既にフリー・ジャズという爆弾の導火線に火をつけてしまったのもパーカーだったと言っていい。
おもしろいことに、パーカーの一番弟子たるマイルス・デイヴィスは、周囲が闇雲にパーカー・スタイルに追従する中、いち早くパーカー=ガレスピー的イディオムに見切りをつけ、クール・ジャズ、モード・ジャズといったスタイルの変遷でもって、アドリブ手法の行き詰まりを打開しようとした。それは、音楽性と自由との間のバランス感覚である。
うがった見かたかもしれないが、マイルスは、パーカーが敷いた「自由なアドリブ」を志向するレールに乗って行き着く先にある罠を見抜いていた。自動浄化装置付きの自由などどこにもないことを知っていたのである。逆説的に、マイルスは、「コード進行という枠組みの中での自由でヴィヴィッドな究極のアドリブ演奏」というビ・バップの見果てぬ夢を守り続けた、最後のバップ・ミュージシャンだったのであり、やはりパーカーの一番弟子だったのだ。

というわけで、僕は「パーカーが創めたビ・バップ=モダンジャズはマイルスの死とともに終わった」とするヘンテコリンな歴史観にとりつかれていて、この時期のジャズをひとつのサイクルとして、ひとつの歴史として聴くことに執着しているので、ここ20年ばかりのリアル・タイムなジャズをほとんど聴いていない。
最近はとっても高度なテクニックと音楽的な素養を見につけたジャズ・ミュージシャンがいっぱい出ているし、興味を引かれる演奏もたくさんあるんだけれど、やはりそれらはみな、50〜60年代のプレイヤー達が試行錯誤しながら探求したアドリブとサウンドの焼き直しであり、僕は歴史の再演としてしか聴くことができない。昨今の優等生的なミュージシャンの音からは、かつてのジャンキー野郎たちの音の核心にあった汚臭に満ちた魂のリアリティーみたいなものが、聴こえてこねぇゾ〜!

と、まあ、例の「昔はよかったね」流のオジサンの戯言です。