70年代の夢

1970年代の中葉、僕は、青春(死語)の真っ只中にいた。
三島由紀夫の自決やよど号事件・あさま山荘事件ではじまる70年代は、60年代の狂乱の残滓があちこちの袋小路でゲロのように汚臭を放つ、今思うといささか胡散臭い時代だった。それでも、そんな中、「言葉」でもって時代に戦闘を仕掛けた何人かの人たちのことは、強烈に記憶に焼きついている。


間章(あいだ・あきら)
ハイデッガールドルフ・シュタイナーの重装備でフリー・ジャズの極北に突き進んだ間章の初期の論文は、『Jazz』誌の「ジャズの死滅へ向けて」というシリーズに Aquirax Aida の署名で連載され、フリー・ジャズ・フリークのバイブルとなったが、もちろん、これは滅びゆくジャズへの文字通りの墓碑銘だった。次に矛先をロックに向けた間章だったが、78年に32歳という若さで夭折する。
間の論文やエッセイやライナーノーツは、没後に出版された数冊の本で読むことができるが、そのほとんどは絶版で、古本屋を巡るしかない。
・『時代の未明から来るべきものへ』(イザラ書房)
・『非時と廃墟そして鏡:間章ライナーノーツ[1972-1979]』(深夜叢書社
この旅には終りはない―ジャズ・エッセイ (Oak books)柏書房
僕はランチにでかける―ロック・エッセイ (Oak books)柏書房


高橋悠治
一方、不世出のピアニスト・高橋悠治は、ほとんど無防備に裸一貫で音楽の現状に殴り込みをかけた。頼るのは自分の音楽的感性だけだったろう。
高橋は、音の生々しい実在を無視して空転するセンチメンタルな言葉たちを痛烈に罵倒する。小林秀雄の『モオツァルト』に対する怒りに満ちた批判がその典型だ。
水牛楽団」の編成とか具体的な行動に出る前の、70年代の高橋のエッセイはこれまた長いこと絶版だったが、最近その一部が『高橋悠治|コレクション1970年代』として出た。

高橋悠治|コレクション1970年代 (平凡社ライブラリー (506))

高橋悠治|コレクション1970年代 (平凡社ライブラリー (506))

先日「音、について何かを伝えたいと思うとき、言葉っていうのは何て役立たずな道具なんだろう・・・」などと卑怯な言い訳でジャズについて書き始めた僕は、またしても頭から水をぶっ掛けられる。


松岡正剛
伝説の文藝雑誌?『遊』に松岡正剛が書いた怒涛のエッセイは、今読んでもとてつもなく新しい。『遊』の第一期(71〜77年)の松岡の文章を再編さんした本が『遊学』だ。
遊学〈1〉 (中公文庫) 遊学〈2〉 (中公文庫)
ナーガルジュナパラケルススも三浦梅園もヘッケルもクロポトキンユイスマンスもボッチョーニもデル・ローエもハイゼンベルクもウォディントンも、もちろん僕は読んだこともないが、それでも松岡が記す彼らの消息とその連関は圧倒的にオモシロイ。
松岡正剛にとっては、著術も読書も表現も思考もすべて「編集」という作業の一局面なのだ。そこでは真実や真理などもはやどうでも良いことであって、まるで西脇順三郎の言うポエジーとそっくりの関係性の美学だ。
松岡が70年代に『遊』で磨いたエディトリアルな感性は、2000年になってネット書評「千夜千冊」で噴出する。これが、この5年間のインターネット上でなされた最大の出来事ではない、などと誰が言えるか?