ソニー・ロリンズ Sonny Rollins

■ロリンズと引退
ソニー・ロリンズついに引退!」というニュースが飛び交っていて、この10〜11月の日本公演を最後に現役引退するという。ところが、9月3日の毎日新聞に載った中川ヨウ氏のインタヴュー記事によると、体力的な理由(現在75歳)で日本等の海外コンサートは最後にするが、音楽を辞める気はさらさらない、と言っているようだ。
太宰治が自殺を繰り返したように?、ロリンズは過去3度の引退を繰り返している。
最初は、1954年から55年の約1年間、若手テナーマンとして売出し中だったにもかかわらず、突然NYから姿をくらます。多分、麻薬が原因の一旦だろう。55年にマイルス・デイヴィスは、自己のクインテットを編成するに当たり、ロリンズに再三ラヴコールを送ったが断られた。結果として雇ったテナーが、ジョン・コルトレーンだった。
この時ロリンズを現役復帰させたのはマックス・ローチである。そして、ブラウニーとのコラボレーションから多大の刺激とハード・バップ・イディオムへの確信を得たロリンズは、56年から58年にかけて生涯の代表作を次々発表している。
2回目の引退は、59年から62年。これはもうバップ・スタイルの行き詰まりと言うしかない。みんな悩んでいた。マイルスはモード手法によってアドリブの可能性の延命を図り、コルトレーンがこれを承継するが、ロリンズは、さてどうしたもんかなぁ、というわけでとりあえず雲隠れする。この間、ニューヨークのウィリアムズバーグ橋の上で練習に明け暮れるロリンズの姿がたびたび目撃された。62年の復帰作のタイトルはその名も『橋』。
60年代のロリンズは、モード・ジャズの進展やフリー・フォーム・ジャズの激化といった潮流に翻弄され、復帰後も結局は自己の新たなスタイルは確立できなかった、というべきだろう。
で、69年には3度めの引退を果たすのだが、再再度復帰した72年はチック・コリアが『リターン・トゥー・フォーエヴァー』を出した年。時代はフュージョン(当時はクロス・オーヴァーなんて言った)へ突入する。ロリンズもちょっとフュージョンぽい演奏をしたりしているが、その後も様々な編成・スタイルを変転しながら、行き着くところ、結局は自分の過去の演奏スタイルを「歴史」として再演する方向に落ち着いたようだ。
こうして振り返ると、ロリンズは、モダン・ジャズの歴史の重要な転換期にその都度引退を繰り返し、時代を牽引するようなinnovativeな演奏は残していない、と言ってもよい。が、それでもロリンズがジャズ・ジャイアンツの一人として絶大な賞賛を誇る所以は、生涯一テナーマンとしての圧倒的なアドリブの質の高さに他ならない。


そのロリンズの「歴史」の原点が56年の『サキソフォン・コロッサス』だ。
盟友クリフォード・ブラウンの急死の4日前のセッションである。ロリンズのブラウニー礼賛ぶりと、その死によるショックの大きさを思うと、この日にワンホーンによるこのアルバムを残せたのは、天の恵みだった。
で、この『サキ・コロ』について、今さら言うべきことは何もない。
ほんとに何もないのだ・・・