バド・パウエル Bud Powell

ジ・アメイジング・バド・パウエル Vol.1

ジ・アメイジング・バド・パウエル Vol.1

このアルバムは、バド・パウエルの1949年8月のクインテット・セッションと1951年5月のピアノ・トリオ演奏のカップリングである。
ジャズのコンボ演奏は、いわゆるプレイヤー同士のコラボレーションの典型なのだが、コラボレーションといっても色々ある。この時代のジャズプレイヤーは、チャーリー・パーカーを筆頭としてほとんどジャンキーだった*1から、皆一癖も二癖もあるヤツばかりだった。
で、そんなワガママ野郎達が集まって、コラボといっても、みんな機嫌が良ければいいが、機嫌が悪ければ、喧嘩になる。54年のマイルス・デイヴィスセロニアス・モンクのクリスマス・セッション*2も有名だが、この49年のバド・パウエルクインテットも「喧嘩セッション」として名高い。ファッツ・ナヴァロがパウエルのピアノの蓋を思い切り閉めて、大怪我をさせるところだったという逸話がある。
この時のファッツ・ナヴァロソニー・ロリンズのプレイは「火の出るような」熱い演奏と称されるが、なんのことはない、「てめぇー、何をうざってぇ演奏してやがんだよぉ、バップってのはこうやるんだよー、おりゃぁぁぁ〜!」って感じで、相手を打ちのめそうとしているのである。

さて、このアルバムの白眉は、なんといっても51年のトリオ演奏中の「ウン・ポコ・ロコ」の3つのテイクである。この演奏も、上とは別の意味で、ものすごい緊張感に満ちている。この緊張感を作ったのはマックス・ローチのドラミングである。
ちょっとモーダルなテーマのバックでビートを刻むマックス・ローチは、3テイクそれぞれリズム・パターンを変えているが、半拍でもずれれば破綻するようなシンコペイティドなシンバル・ワーク(もしかするとカウベルも使ってる?)を多用して、「俺について来れるか?」とやっている。
ここでのパウエルのピアノとローチのドラミングは、バップ・イディオムの典型的な実践であり、ビル・エヴァンス以前のピアノ・トリオ演奏の白眉でもある。

モダン・ジャズ創成期のヴァーチュオーゾの一人であるバド・パウエルは、麻薬と精神障害で肉体も感性もボロボロになり、晩年はパリに安住の地を求めた。パリ時代の名演も幾つかあるが、もう往年のスーパー・テクニックは影をひそめ、バラード・プレイでお茶を濁すことが多くなった。この枯れたバラード・プレイがまたいいんだけど・・・

*1:49年の録音メンバーでも、ファッツ・ナヴァロは麻薬と結核で26歳の若さで死んでしまうし、ソニー・ロリンズも当時は麻薬に浸っていた。ロイ・ヘインズもパーカーと長くやっていたから、筋金入りのジャンキーだった。

*2:名盤『バグス・グルーヴ』のセッション。マイルスは自分のソロのバックではモンクにピアノを弾かせなかった。が、ピアノレスでのマイルスのソロと、その後のモンクのソロは、史上名高い名演になった。