(50) At the Stratford Shakesperean Festival (1956) / Oscar Peterson

エド・シグペン(ds)が入ってノーマルなピアノ・トリオになってからのオスカー・ピーターソンは、あまりに完璧なテクニックと強烈なドライヴ感で聴き手を圧倒するようなプレイが多く、僕なんかは2、3曲聴くと何故か疲れてしまって後が続かなくなる。いやリラックスした演奏ばかりじゃないか、と言われるかもしれないが、そのリラックスした雰囲気自体があまりに完璧すぎて、やはり疲労を誘う。律儀で隙のないリラックス感・・・完全無欠のリラックス感というのだろうか。これもやっぱり疲れるのだ。結局のところ、(僕にとっては)ジャズには多少の”ずぼら”さと”いいかげん”さと”だらけ”が必要で、適度の破綻と不調和が不可欠だ、と勝手に思う。


一方、初期のピーターソン・トリオは、ピアノ(ピーターソン)、ギター(バーニー・ケッセルハーブ・エリス)、ベース(レイ・ブラウン)のドラムレス編成で、後のトリオ演奏とはかなりニュアンスが違っている。このドラムレスのP・G・B編成は58年頃まで続くが、そのピーク時の56年にカナダのオンタリオで催されたライヴ演奏を収めたのがこのアルバムである。
カナダ生まれのピーターソンが、ノーマン・グランツに見出されJATPコンサートやVERVE系レーベルへの吹き込みで一世を風靡した後、いわば凱旋帰国したライヴ盤だから、会場も盛り上がっているし、ピーターソンをはじめとするメンバー達も元気いっぱいに盛り上がっている。で、もちろんピーターソンの超絶技巧による絢爛たるピアノが聴けるわけだが、ピーターソンの一人舞台という印象が意外に少ないのは、やはりピアノ=ギター・トリオという編成の賜物だろう。ピアノとギターのアンサンブルや掛け合いにも色んな仕掛けが施してあるし、ピーターソン・エリス・ブラウンという3名人のインタープレイという要素が強い。時折、タル・ファーロウのギター=ピアノ・トリオを彷彿とさせるような粗野でアーシーな響きも聴こえ、後のピーターソン・トリオでは味わえない風情を楽しめる。ライヴならではのアンサンブル・ミスや掛け合いのズレもたまにあって、それを笑ってごまかすようないいかげんな雰囲気がまた楽しい(^o^;


40年代にドラムレスのピアノ・トリオ(ピアノ、ギター、ベース)で一世を風靡したのはナット・キング・コールだった。これを受けてアート・テイタムや初期のアンドレ・プレヴィンなんかもこの編成でやっていたと思うが、バド・パウエル以降の右手のシングル・トーンに頼るスタイルではこれが難しくなった。ピーターソンのアイドルはナット・コールだったから、彼は当然のごとくコールのスタイルを踏襲したのだろうし、十分プロで通用するコールそっくりのヴォーカルもこの表れだろう。ピーターソンとナット・キング・コールが、お互いのピアノとヴォーカルのスタイルがバッティングするので、ピーターソンはピアノ、コールはヴォーカルを主とするという紳士協定を結んだという話がまことしやかに言われるのも、コールの影響がいかに大きかったかを示すものだ。
50年代後半以降のピーターソンは、当然(ハード)バップ・スタイルの影響も受けてそれなりにモダンなスタイルで弾いたが、根っこには前時代のスウィング・スタイルが明らかにあって、60年代のモダンぶった演奏などを聴くとかえって古臭く感じる。むしろ、コールマン・ホーキンスベン・ウェブスター等スウィング期の巨匠との競演盤や、『エラ・アンド・ルイ』とか『アニタ・シングス・ザ・モスト』のような歌伴でのシブいプレイに、このピアニストの本性が見えるような気がする。


50年代の100枚リスト